写真は猿梨(さるなし)。12/9/13撮影
先日土佐へ旅に出ました。
遙か昔、愚老は高校の修学旅行で四国巡りをしたのですが、以来あの頃の思い出を追って、数年に一度は「四国行」に出ています。
「緑の黒髪が甘く匂った」乙女の何人かは彼岸へ旅立たれています。「面皰の傷跡が汚く見えた」悪童の多くも、すでに帰らぬ人に。
今回は初めて「高知城」を目の前に見たのです。
大手門越しに聳える天守と、屹立する石垣には驚きました。
あれは愚老の心に残る、古城の映像では最高のものでありました。
古城に感嘆し、鰹のタタキを堪能し、地酒で前後不覚に酩酊し、今回の旅は素晴らしい記憶となりました。
「♪帰ってみれば、こわいかに」
まことに恥ずかしきことながら、あの「浦島太郎」の歌詞を「怖い蟹」だと思い込んでおりました。
恥かきついでに「赤い靴」の女の子は「♪異人さんに連れられて行っちゃった」ではなく、「♪良い爺さんに連れられて行っちゃった」と思い込んでいたものです。
「良い爺さん」に連れられて出かけた女の子の幸せを羨んだものです。
さて「♪帰ってみれば、こわいかに」
数年前から道路沿いの垣根に這わせておいた、サルナシの実が1個もないのです。
見事に、1個も!
孫の武闘派コタ・ユタ両将は算数が(ここは『も』と書きたいところなれど、今回の悲劇に免じて『が』と致します)たいへん苦手。
足し算、引き算の苦行からようやく解放され、やれやれ、と思う間もなく「かけ算」「九九」の試練。
近所のスーパーで10個400円也、のサルナシを見るや、俄然「かけ算」に目覚めたのです。
サルナシのツルにはサルナシの実がぎっしり。
コタ・ユタ両君の喜ぶまいことか。
両手の指では足りないので、相手の指まで借用、「22が4」とやっておりました。
算数に開眼し、学問の生活に関わる真実を体得致したのです。
それがねえ「♪帰ってみれば、こわいかに」
サルナシは蒸発の怪。
おそらく、時々頓狂な声で鳴いてエサを探す、ヒヨドリ夫婦が食べたのでありましょう。
愚老、昨日このサルナシに「来年も豊作でありますように。コタ・ユタ両君が学問の道を踏み外さないように」祈りを込めて伸び放題のツルを剪定致しおりました。
道行くご老体が声を掛けてこられました。
「お手入れご苦労様、大変ですね!私は毎日散歩の行き帰りにこのコクワを楽しみに見ておるのです。懐かしいなあ、戦時中の物のない頃、このコクワを食べたものです。あ、実がない。もう収穫されたのですね?」
「え?ああ、ヒヨドリ夫婦が収穫しました。この実をお食べになられたことがあるのですか?」
「さよう、物のない頃爺に連れられて山に入っては食べたものです。まことに甘い果実でした」
「コクワと仰いましたか?シラクチと言う地方もあるようですね。この辺ではサルナシです」
「サルナシ?良い名前だなあ、猿酒を造るのですか?」
「そうらしいです」
ご老体との立ち話は小一時間ほどでありました。
「懐かしい」「実を見るのが楽しみ」「爺や婆の思い出がある」
愚老も「四国行」の楽しみがあるように、この方にもサルナシの記憶が人との繋がりとなっているのだ。
来年もたわわに実らせるぞ!
駄句6句と愚歌1首。
老爺柿(ろうやがき)秋を惜しみて猶赤し
行く秋を柿の実赤く惜しみけり
木犀の香の流るるや宵の闇
闇に浮く石蕗(つわ)の花待つ夕べかな
日の暮れにもしやと見ける石蕗の花
秋霖に猿梨の実の落ちにけり
老爺柿(ろうやがき)秋を惜しみて猶赤し老爺ふくべを持ち直すかな