写真は楓(かえで)。
写真のカエデの大将は何時の頃からか、陋宅の棚場に鎮座しています。
幹回りの太さから判断すると、以前の持ち主の方が、庭木から取り木をされたもののようです、
カエデやモミジは毎年タネをまいたり、挿し木をしたりして楽しんでいますが、幹の太りには時間がかかります。
カエデやモミジの仲間は数が多く、落葉後には見分けが困難です。
春の芽出しで、葉が3裂ならカエデ、5裂以上ならモミジ、と判断するのですが、これもタダシイ方法ではないようです。
「モミジのような手」とは美しい言葉ですね。
陋宅に出入りする、孫の衆の手はさながらモミジ。
可愛いものですよ。
相撲好きなボケ爺がテレビを観ておりますと、頬に冷たいものが当たります。
「ジイジ、はいどうぞ」
サーちゃんが、モミジの手で冷えた缶ビールをしっかり持ち、佇んでいるのです。
かくなると、相撲なんかどうでもよろしい!
サーちゃんからビールを受け取り、口にするのですが、これぞまさしく「至福のとき」
仏頂面の相撲取りなど彼方に追いやり、滲んだ「水」でかすんだ目を拭い、にこやかなサーちゃんを見るのです。
「この世知辛い世にこんな幸せがあるのか」
何度もこの言葉を反芻いたします。
時にはサーちゃんの昼寝の時間と重なる時があります。
さような時はコタ・ユタの武闘派両将が、ビール運びの役目をあいつとめます。
二人はこの役目を譲り合い、なすり付け合い、負けた方が仕方なく色づいた「大葉モミジの手」で缶ビールをワシヅカミ。
愚老にとってはサーちゃんもミイちゃんも、はたまたコタ・ユタも天使なのです。
コタ・ユタ君をひしと抱き、頭を撫で「ありがとう」と申します。
両将は爺の手を払い除け。
「キモイ!やめろ!」
やや遠くに住むリーちゃんは幼稚園年少さん、「もみじ1組」であります。
先日、リーちゃんの庭に見かけない鳥が舞い降りたそうで、写真を送ってくれました
「よかったねえリーちゃん、キジだよ。鬼退治に行けるね」
「えー、目が赤かったし、怖い顔をしてたよ」
「うんうん、あのキジは少しお酒を飲みすぎたのさ。ほどほどにしとけばリーちゃんと遊べるのにね。酒飲みはイカン」
駄句5句と愚歌1首。
望月の辺りを探す雲幾重
野分雲空たちこめて月隠す
楓紅葉子の手の形まだ確か
夕暮れにどっしり構へ楓立つ
待ち居たる月隠しける野分雲
彼岸明け父母に約せし種々(くさぐさ)もみな忘れ去りぬ芯の弱さよ