写真はオタクサ(紫陽花)。
我が家の紫陽花「オタクサ」は挿し木でずいぶん増えました。
紫陽花オタクサは、園芸店「K園」で大々的な宣伝の下売り出されました。
幕末に長崎出島でオランダ人を名乗った、ドイツ人医師シーボルトは
日本地図を国外に持ち出そうとして幕府の怒りにふれ、「国外退去」となりますが、その時日本の紫陽花を持って帰国したらしいですね。
日本に残すしかなかった、長崎の遊女楠本滝のことが忘れられず、その紫陽花を眺めては「お滝さ~ん」と呼び続けた。
異国訛りのせいで「オタクサ~ン」と発音した。
いつの間にか紫陽花は「オタクサ」となった。
オタクサはいつか忘れられ、花の消息は途切れてしまった。
先年のこと、偶然にフランスの庭園でオタクサは発見された。
「K園」ではこの流離の紫陽花オタクサを、故国の人に販売することになった、との宣伝でありました。
愚老、その際に買い求めたのが、写真のオタクサなのです。
1858年(安政5年)に「日蘭修好通商条約」が結ばれ、シーボルトの追放処分は取り消され、翌年再来日致します。
シーボルトはお滝さんとの間に生まれた娘「おイネ」とも再会することになります。
これでメデタシメデタシとならないところが、歴史の皮肉。
シーボルトセンセイ、日本の近代化に命を燃やして、脇目もふらず尽くしたのでしょうが、どこか人間くささも残していて、お滝、おイネが雇っていた家政婦「シオ」との間にも子供をもうけます。
お滝とおイネの失意はいかばかりであったか、と小生要らざる心配をするのです。
「シーボルトよ、おぬしもワルよのう」
せてもさても、我が家の棚には「紫陽花オタクサ」が花盛り。
その中のとりわけ可憐な花に、愚老名付けて「オランダおいね」
駄句5句と愚歌1首。
オイネとはオタクサの子とふ紫陽花の
オタクサを凌ぐ子のイネ紫陽花なり
紫陽花の便り懐かし故郷より
紫陽花は色を変へたり昨日今日
紫陽花の薄桃色は乙女かな
オタクサと紫陽花に名付けたる異国人オイネは頭に登らざりしか