椿の実手に握りみて温かし | 牛久の小盆栽 ながちゃんのブログ

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伝統的な盆栽愛好者の姿は、培養歴6年で樹齢150年、200万円の五葉松を出入りの業者に任せる旦那でした。「なんとか盆栽展示会」にその蔵者が得意げ写真におさまる、とか。私は貧乏なので全て実生、挿し木の小盆栽です。


マリア様

椿マリア様 花15/4/08
写真は椿(マリア様)の花と実。

花=15年4月8日撮影
実=15年6月17日撮影

椿「マリア様」の花は桃色一重の無垢な印象の花で、爺は大変好みの椿です。
写真の「マリア様」は我が家に宿って4年、2月から3月のまだ寒い時期に清楚な花を咲かせてくれます。

今朝はキキョウの花を撮影せんものと、小雨の中壊れかけのカメラをいじっておりました。
ふと、棚場を見ると鉢に差した、懐かしきカナクギ流の情けない字が目に留まったのです。
「マリア様」は字の上手下手にはあまり関係がなく、爺の目にも明瞭に映りました。
「はて、マリア様?マリア様とは誰ならん?」
字は紛う方なき爺の乱れ字。
自分で書いて自分で理解できないのだから、救いがないですね。

椿マリア様の枝の先には、実が一つだけ、つれづれと下がっておりました。
「ありゃりゃ、こりゃ椿のマリア様だぞ。そうそう、春には一重の桃色の清楚な花が咲いたな。たしか写真に写したはずだぞ。あの花がこの実なのか」
爺はふらっとめまいを覚えましたね。
春に咲いたあの可愛い花が、この無骨な実なのか。
爺はしげしげと見つめましたよ。

清純無垢の椿、マリア様が残した実がこれか!
してみると、これはマリアの子!
マリアの子はあの人!

爺の頭は混乱致しましたな。
「マリアの子はあの人!」
の言葉だけが明瞭に粗脳に焼き付いたのであります。

爺は「マリア」という名に皆目覚えがないわけではございません。
真理亜、茉莉矢、麻里也など、指折れば何人かの女性固有名詞に思い当たるのですよ。
でもねえ、女性とは申せ、どのマリア様方も未だ幼稚園年少組の頬赤き乙女衆、古稀爺が思慕の情を燃やすはずもこれなく候。

となれば、マリアは「マリア様」に違いない。
マリアの子は、あの人!
今は不細工な形で枝の下がっておれども、いつやんごとなきお姿に変われるやしれず、ここは合掌。
宗旨違いの「般若心経」の片言など唱えましたな。

駄句5句と愚歌1首。

椿の実千切るは思ひ断つ如し
椿の実手に握りみて温かし
椿の実両手にころり転がりぬ
椿の実枝先に一つ徒然と
椿の実乙女の手にも落ち着かず


椿の名気高く清き響きありおみなごの影思ひみてけり