写真は苧環(おだまき)。
苧環の字は難しいですね。
「苧」はカラムシやアサの繊維でよった糸。
「環」は糸を巻き取っておく道具。
オダマキの花の様子が、上記「苧環」に似ているから、名付けられた。
と言われてもねえ。
春立つ日の頃は鉢から姿を消していたオダマキが、春雨に打たれるごとに芽を出し、すいと立ち、四月の声とともに花を咲かせました。
名前の難渋さに似合わぬ花の端麗さ、いいものですね。
ところで、愚老の名も難渋難読でありまして、なんらの注釈なしには戸籍登録通りには読んでもらえません。
名前が難渋だからとて、生き方が端麗ではないことは申すまでもござらんのです。
名前は難渋、生き方は難儀再々。
さて、オダマキソウ。
バラやボタンが七重八重に咲き、妍を競うのに比べ、オダマキの何と簡素であることか。
軽やかに顔を出し、ひょいと辺りを見回す。
七重八重がボタンの宿命なら、軽やか簡素にひょいと咲くのもオダマキの宿命。
焼酎を呷り、安酒を流し込み、悪酔いの挙げ句七重八重にへたり込むのは愚老の宿命。
生きとし生けるもの、かけがえのない存在でもあるのですね。
駄句5句と愚歌2首。
苧環(おだまき)は簡素な花なり冬枯れて
苧環はすいと伸びてぞ何を見る
苧環は春行く時に咲きにけり
雨上がりすいと苧環首を立つ
消えかけて苧環の字の読めぬなり
雨ごとに苧環伸びて春の花色も形も複雑に咲きにけり
しづやしづ呼びてみたき苧環の花いにしへ語る風情にも似て