風光る縄文の跡の息吹かな | 牛久の小盆栽 ながちゃんのブログ

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伝統的な盆栽愛好者の姿は、培養歴6年で樹齢150年、200万円の五葉松を出入りの業者に任せる旦那でした。「なんとか盆栽展示会」にその蔵者が得意げ写真におさまる、とか。私は貧乏なので全て実生、挿し木の小盆栽です。


雑木林と遺跡

写真は雑木林の名残と発掘作業。

以下の3段落分は2月11日の文の再掲です。

我が陋屋の近くの広大な雑木林が宅地化されていきます。
カヤ、コナラ、クヌギなどの大木が重機で引き倒され、跡形もなく整地されていきます。
間もなくお洒落な新造住宅地に生まれ変わることでありましょう。

宅地造成作業が突然停止されたのは、去年の暮れ。
何事かあらん、と思っていましたが、雑木林の地層から「遺跡」が発見されたのですね。
縄文時代前期から4,5,6世紀の住居址や、古墳などが1000年ぶりに顔を出したのです。

昨日、発掘調査の方にお願いして、見学にまいりました。
発掘作業の方たちの、緻密で想像力に富んだ作業に感嘆致しました。
ビニールシートに覆われた現場のあちこちに、巨大な切り株が見られました。
あ!これこそ石化だ!
悠久の時の流れからひょっこり顔を出した切り株、縄文の人たちが生活の基盤に置いていた樹の石化した切り株。
愚老、胸奥から突き上げてくる感動に、なす術もなくしばし佇んでおりました。

昨日、孫のサーちゃんの守を厳命されて、発掘現場近くを歩いてみました。
4世紀の住居址などを見るたびに、不思議な感覚にとらわれてならないのです。
2000年ほど以前の人たちが生きてきた、この遺跡の丘陵地には人が泣き、人が喜ぶ日常があったはず。
今は渇いてしまった、丘陵の麓には豊かな水源があったのだろう。
春にはきっと藪椿の赤花が散り敷いたと思うのです。

水源を経巡る道が出来、後の世に街道となり、一里塚が作られ道祖神が据えられ人の暮らしに深く結びついてきた、などと連想する一日でした。

駄句5句と愚歌1首の追加。


風光る縄文の跡の息吹かな
風光る楢の木疎らな遺跡かな
春時雨発掘の手皆止まる
遺跡土千年の陽を懐かしむ
春時雨遺跡を濡らし洗ひ出す

団栗を拾ひし林切り開き人の世現す縄文の跡