木の芽時我も我もの賑やかさ | 牛久の小盆栽 ながちゃんのブログ

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伝統的な盆栽愛好者の姿は、培養歴6年で樹齢150年、200万円の五葉松を出入りの業者に任せる旦那でした。「なんとか盆栽展示会」にその蔵者が得意げ写真におさまる、とか。私は貧乏なので全て実生、挿し木の小盆栽です。


夜叉柄杓

写真は夜叉柄杓(やしゃびしゃく)。

夜叉柄杓とは、まことに恐ろしげな名前ですね。
「夜叉」の持つ「柄杓」のことですが、この両語の落ち着きのなさは何故ならん。

「夜叉」は不動明王、帝釈天、韋駄天、阿修羅などと同様に元はインドの鬼神ですが、後に仏教に取り入れられて守護神となった佛とされています。
「柄杓」は「ひさご」
「ひさご」とはひょうたんを割って柄を取り付けて作られた「ひしゃく」

写真をご覧あれ。
昨年の実がぶらぶら揺れていますね。
もっとも「ぶらぶら」「ひょろひょろ」はオノマトペでありまして、実が何かを致しているわけではありません。
ともかく、実、この「実」が瓢箪に似ているので、「柄杓」だって。
似ているかなあ。

さて「ヤシャビシャク」は珍しい木です。
都道府県によっては、絶滅危惧種に指定されて場合もあるようです。
「深山の老樹に着生する」
なあんてのは、どこかの爺に似ておりますな。
「寄らば大樹の陰」「なろうことなら老樹の先」

寄りかかり、縋り付き、辛うじて生きる姿が、老い屈まり左見右見(とみこうみ)やっとこ生きる愚老に似ているのであります。

それにしても、阿修羅、韋駄天、夜叉の勇ましさは影もないですね。
でもね、晩春に咲く黄色がかった白小花はいいですよ。
この世に生まれ出でたことを詫びるように、葉陰にそっと咲く花。
春の雨に打たれている姿は、そのまま「Poem」ですね。

「夜叉柄杓」は夏の季語。

駄句6句と愚歌1首。


夏待つや夜叉柄杓の角ぐみて
秋の実を夜叉柄杓は下げ居たり
角ぐむや夜叉柄杓は芽を出して
木の芽時夜叉柄杓も遅れじと
春の雨深き眠りも起こしけり
木の芽時我も我もの賑やかさ

木の芽時我も我もの賑やかさ欅小楢は起きいたるなり