写真は紅梅。
天気予報は「明日は雪でしょう」を何度繰り返したことやら、その都度雪道に苦闘するライダー新聞配達員氏のバイクを案じ、通園通学の子たちの雨具を心配したものです。
「雨具の心配」とは何ぞや、と問われるかもしれません。
だってねえ、一年生のランドセルは予想以上に重いですぞ。
孫のコタ、ユタ両君のランドセル背負った姿はまことにかわいそう。
ランドセルを背負う、と言うよりランドセルに抱きしめられた、という表現が相応しいですな。
雨天には傘さし、長靴履き、雨合羽を着る重装備、歩く姿は「二宮金次郎」ならぬ「荷の舞重児労」ですね。
通学路を並んで歩く子たちに、不平不満などなく黙然としてござる。
エライものですよ、あの幼子たちは。
愚老など、あのランドセルを負わされたら、よろけつまずき、泣きますね。
「重きに泣きて3歩歩まず」
いやいや、今朝は梅の花について。
昨日、安物のカメラ片手に「何か撮すものはないか」と、棚場をうろついていましたら、写真の紅梅を発見したのです。
「発見」とは大げさでしょうか。
陋屋の、足の踏み場もない鉢植えの間隙に咲く、一輪の梅はまさしく「発見」ですよ。
習字の習い始めは「とめ、跳ね、はらい」が大事と教わりますが、梅の開花も「とめ、跳ね、はらい」が肝要だと思うのです。
厳寒の最中に咲く花だから、多少の崩れ、ボケはやむを得ない、という評はいけません。
さような甘言は「崩れ、ボケ爺」の愚老を甘やかすだけ。
いかに厳寒に咲くとも、やはり梅の花は「とめ、跳ね、はらい」が大事であります。
写真の梅を見直していただきたい。
「とめ、跳ね、はらい」の3拍子が、ワルツを踊っているのが見えるでしょう?え?見えない?
さて今、午前9時。
雪に変わるでしょうか。
駄句5句と愚歌1首。
梅開花薄紅色の孫の頬
梅一輪我は我よと咲きにけり
梅の花一輪ごとのとめと跳ね
梅の花咲いた咲いたと孫上気
梅一輪春告げ鳥を待つ朝(あした)
梅咲きて春告げ鳥の餌を備ふこの冬名残の寒さなりけり