大寒に寒行僧の咳と経 | 牛久の小盆栽 ながちゃんのブログ

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伝統的な盆栽愛好者の姿は、培養歴6年で樹齢150年、200万円の五葉松を出入りの業者に任せる旦那でした。「なんとか盆栽展示会」にその蔵者が得意げ写真におさまる、とか。私は貧乏なので全て実生、挿し木の小盆栽です。


オキザリス

写真は大寒に負けぬオキザリス。

大寒ですね。
「寒」という言葉を聞くと、思い出すことがあります。
「寒行」「寒行僧」
戦後の山間の町には電飾など、ほとんどなかったのじゃないかなあ。

夜のとばりがおり、音の出るものは風ばかり。
鋪装のされない道路を、尺八の咽び泣くような風の中に、鉦を叩き、錫杖を撞いて僧列が通る。

我ら子供衆は無言で、鍋を持ち、寒行僧の列を見送るのです。
鍋の中には僧への喜捨の米が僅かばかり。
米は翌日の大事な食料でしたが、食料の中からほんの一掴み、僧へ喜捨する習慣でした。

僧列には、顔見知りの小僧が数人混じって懸命に経文を唱えていました。
小僧の弊衣の裾を風がまきあげ、足下は素足にゴム製の草履、まことに寒々とした光景でした。

敗戦後、山間の町にも身寄りのない、浮浪児が社会問題になっていました。
比較的檀家数の多い寺院では、戦災孤児を引き取り、庫裡の住みに住まわせていたのです。
我が宗派の僧侶を育成する目的ではなかったのですが、寺院境内の草むしり、掃き掃除などの日常の軽作業は課しておられたようです。
「大寒」の声を聞く頃には寺院総出の「寒行」が行われ、孤児少年たちも寒行の列に並んでいたのです。

はや60年以上も前の記憶。
あの人たちは健在で居られるのだろうか。
大寒には、あの僧列の経文が風に乗って聞こえるのです。

我、居ずまいを正して傾聴するも、今の時代の経文は聞こえない。

駄句7句と愚歌1首。


電線を哭かせ吹きゆく冬の風
電線を吹きちぎるかな冬の風
尺八の咽び泣く音の冬の風
冬景色音の轟く山颪
大寒の寒さ沁み入る山颪
大寒は何時のことかとオキザリス
大寒に寒行僧の咳と経

尺八に精魂込めたる人のごと電線揺らし風の吹き過ぐ