写真は山査子(さんざし)。
この二三日の陽射しの柔らかさは、まことに嬉しいですね。
古稀過ぎた身にはこの上なく有り難い馳走であります。
盆栽擬きの置き場には、700鉢ほどの植木がありまして、一つ一つ「性格」が違うのです。
水など撒こうが撒くまいが、無事に育つ木がある一方で、一日でも水やりを怠ると、臍を曲げ枯れてしまう木もあります。
冬の寒さにはこの水やりが何より苦痛。
朝目を覚ますと、窓外の雨音を期待して、耳をそばだてるのです。
雨の朝の嬉しさ。
もう一度布団を被り直すのです。
アホですね。
さように苦痛なものなら、植木など皆まとめて捨ててしまえばいいものを。
今朝の苦役の最中にふと気づいたこと。
「今年はまだ外水道が凍らないぞ。如何なるゆえならん」
さよう、例年この時期は外水道が凍り付き、そこから伸ばしたホースはまるで氷の棒。
ホースを折り曲げ、中の氷を砕き、陽射しに当てて溶かし、昼過ぎにやっと撒水、の繰り返しでありました。
ああ、それなのに今年はまだ一度も水道が凍らないのです。
さて、写真の山査子の実について。
山査子は古い時代に漢方薬品の材料として、唐国から渡来したそうですね。
山査子の実を乾燥させ、すりつぶして「自家薬籠中」のものとして、旅人は携行したようです。
街道を行き交う旅人同士、中にはにわかの腹痛で苦しむ人もあったでしょう。
「いかがなされたお女中、にわかの差し込みでござるか、みども幸いに適薬を持参致しおる。ささ、召されよ」
なあんて、時代劇の場面にあったような。
愚老も山査子の実をすりつぶし、印籠はないので、昆布茶の缶にでも入れ置き、にわかの腹痛に苦しむ「若い」お女中に「ささ、召されよ」と差し出したいのです。
でもねえ、撒水の苦役に悩む身で、「若い」お女中との出会いもござるまい。
危険薬物頒布の罪でタイホされたりして。
駄句5句と愚歌1首。
山査子の実の残りたる冬枯れ野
凩の見落としてや山査子の実
山査子は思ひ残してや年を越す
苦を残し山査子の実の年を越す
一つある山査子の実はルビーかな
山査子は冬枯れの野に実を残すルビーの赤さ棘の険しさ