写真は道の神。
写真の石像は道祖神なるや、部落の神なるやを知らず。
道標を兼ねているので、母子の道の神である、と思っているのです。
石像背面には江戸中期の年号が彫られています。
母道の神の優しさはどうだろう。
嬰児(みどりご)をそっと抱き、乳を与えている。
この母の面の穏やかさは如何なる彫刻や絵画をも凌ぐ、と思うのです。
我が子を見下ろす顔には、一点の曇りもない。
ところで、我が孫の衆の総領ケタ君は、昨日2校目の私立高校受験でありました。
悠々と食事を済ませ、受験校に赴いたということでした。
外見上は緊張もなく、平常心で試験に臨んだそうで、送り出す両親こそあれこれ心を砕いたのでありましょう。
試験後は、母の問いかけには例の通り「ああ」と「うん」、阿吽(あうん)の対応であったそうな。
でもね、ケタ君も偉いけれど、送り出す母女はもっとエライ!
我が子を信じているのだから。
我が子を見守る母の強さを教えられました。
さて拙老は、かような日には、陶淵明の詩を思い出そうと懸命でありました。
「責子(こをせむ)」
年は取りたくないもの、思いだしたのは書き出しの1行のみ。
まあ、「天運斯くのごとくんば」盃のものをほそう。
駄句5句と愚歌1首。
冬の陽に乳(ち)含ませたる道の神
冬の陽や母子(ぼし)を優しく包むなり
冬の陽と母神の笑顔暖かく
冬の陽や母子の霜を溶かしたり
冬の陽は榎の枯れたる通し来る
いつよりか母なる神は道に居て抱く嬰児(みどりご)すこやか祈る