こんにちは、カミーです。

 

図書館でたまたま手にとった本が、先日訪れた博物館の展示を担当した学者さんだったと知って驚きました。

 

 

『つくられた縄文時代』という本で、著者の山田康弘さんは、国立歴史民俗博物館の第1展示室を担当されたそうです。

 

まさに先日訪れたところで、こういうのをシンクロニシティって言うんですよね?!

 

このシンクロってスピ界隈ではよく話題にされて「正しい方向に向かっている証」みたいに語られますが、科学的に説明することってできないのかなってよく思います。今のところよいアイデアはありませんが…。

 

さて、この本は「メタ考古学」といわれる分野がメインの本です。

 

「メタ考古学」とは、考古学そのものではなく、考古学の結果と社会がどういうふうに相互関係してきたのか、ということを説明するもの。本書のメインは、縄文時代というものが世相とどう関わってきたのかを解説した内容になります。

 

たとえば、縄文時代・弥生時代という言葉は1970年代くらいから一般的に使われるようになった比較的新しい言葉だったこととか、その背景なんかを説明しています。

 

また、縄文時代全体の研究成果もとても分かりやすくまとめられていて、たとえば

 

▼縄文時代の始まりがいつだったのか(→説によって5,000年くらい差がある!)

▼縄文時代の終わり・弥生時代の始まりはいつだったのか(→説によって500年くらい差がある!)

▼縄文時代とされる地理的な広がりはどこからどこまでなのか(→おおよそ今の日本と同じ感じ)

 

みたいな基本的な説明は、さすが博物館の展示室を担当するだけあって分かりやすいと感じました(上から目線)。

 

また、最後に著者の専門分野である縄文時代の死生観についても語られています。いわく縄文人は「円環的死生観」と「系譜的死生観」の2つが存在したと。

 

簡単にいえば、死んでも生まれ変わって戻ってくるという考え方と、先祖からの血のつながりを重視する、という死生観でしょうか。

 

国立歴史民族博物館の展示にあった、その説明のパネル

 

 

日本人としては、どちらも違和感のある考え方ではないので、「それで?」という感想しか出てきませんでした。死生観は現在と大きな隔たりはない、というのもひとつの大事な結論なのかもしれませんが、なにかもう一歩踏み込んだことが言えれば面白いかもしれないのに…と感じてしまいました。その一歩がなにかは分からないのですが…。

 

それと、縄文時代に階層化があったかどうか、という議論の流れも関連する既存研究を丁寧に紹介しています。

 

この「階層化」というのがどういう意味で使われているのか詳細は分かりませんが、大きな富や権力の偏在という意味では、縄文時代に階層的なものは小さかったと個人的には思います。この本で紹介されている研究のどれにも、決定的な証拠を示したものはないようです。

 

少なくとも現代社会の抱えるような格差は存在せず、欲や傲慢を抑えるような仕組みがあったんじゃないかと感じます。

 

というのも、縄文時代には権力や威信を誇示するような巨大な建造物もないですし、大きな戦争が起きた跡も見つかっていないからです(弓矢で死んだ遺体はわずか10体ほどで、狩猟中の事故死と思われる)

 

というわけで、縄文時代研究というものをやや俯瞰的な視点で解説した本書は、縄文時代をかじり出した私のような人にはうってつけの内容でした。

 

 

 

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こんにちは、カミーです。

 

地元の図書館に立ち寄ってみました。

 

地域の図書館って、独特の雰囲気がありますよね。揃えている書籍の種類は本屋とはまったく違うから、意外な発見があったりして楽しいです。

 

 

そこで『人類を救う哲学』という梅原猛さんと稲盛和夫さんの対談本を見つけました。ふと足を踏み入れた書棚で、ふと目に止まって手にとりました。

 

2009年に出版されたものですが、これは3冊目の対談本で、それまでに2回もこの2人が対談していたとは知りませんでした。梅原猛さんの本はほとんど目を通しているかタイトルは知っているつもりでしたが…。

 

PHPが出してるビジネス書的なものなので、本屋の店頭からはすぐに消えてしまうし、アマゾンでもなかなかこういう本は検索やオススメで出てこないからかもしれません。

 

本書の内容ですが、タイトルの通り、今後の人類にとって必要な考え方や思想を2人がいろいろな角度から議論しています。

 

稲盛さんが2009年の時点で、「もはや経済成長は不要」と明言している点に驚きました。きっとこれ以前から言っていたのかもしれませんが、経済界の大物がこういうことを言えるものかと、これだけでちょっと尊敬してしまいました。

 

それからもう1つ興味深かったのは、今後は「発展型社会」ではなく「循環型社会」を目指すべきだという話。

 

循環型社会って最近では耳慣れた言葉かもしれませんが、個人的には今さらハッとさせられました。

 

戦後、経済成長を一直線に目指して発展のみが唯一の「善」だったのが発展型社会で、それを目指す時代はすでに終わったと。これからは、資源や環境が持続的に維持していけるような循環型社会を目指すべきだ、という内容です。

 

持続的=サステナブルなんて表現も最近よく見聞きしますが、基本的には同じ意味ですね。

 

循環型とか持続的とか、さも新しい概念のような感じでメディアなどでは語られていますが、日本は過去にそうした社会を経験してきました。

 

梅原さんは本書で、江戸時代は再評価されるべきだとして、その評価されるべき点のひとつとして江戸時代が自然と共生し、基本的には自給自足をし、自然をほとんど壊さない循環型社会だったことを紹介しています。それが明治以降、発展型社会に変わってしまった。

 

江戸時代って、なんとなく暗くて良くないイメージがあります。身分制があって、農民は年貢に苦しめられて、発展してないみすぼらしい社会…みたいなイメージありませんか?

 

おそらくこれって、明治維新を先導した人たちによって作られたイメージなんじゃないかと個人的には思っています。

 

新しく入ってきた西洋的な価値観を軸にした新時代を切り開いていくのに、過去の時代を否定することは必要だったんじゃないでしょうか。

 

でもそれは必ずしも正しいわけではなく、江戸時代は江戸時代ですごかったと僕も思います。すくなくとも250年にわたって平和を維持しただけでも、戦争を経験した近現代よりも評価されてしかるべきかなと。

 

また、この本には書かれていませんが、縄文時代も循環型社会だったはずです。自然と共生し、人間が快適に住むための居住空間をつくる以外は必要以上に自然を壊したり、巨大な構造物をつくったりはしませんでした。

 

地球温暖化の議論については僕は半分以上信じていませんが、環境を守るという着地点については賛成です。なので動機はどうあれ、持続可能な社会を目指す方向性はよいと思っています。

 

ただ、自殺者がいたり、うつ病患者が増えたり、どこか生きづらさや息苦しさを感じるような社会っていうのは、循環型や持続可能な社会にしたところで解決しないような気がします。

 

この現代人の精神面の苦しみはどうすれば解決していけるのか?そういう視点はこの本にはなかったので、また対談してもらいたいです(が梅原さんはもう亡くなられてますから実現できのが残念です…)

 

 

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こんにちは、カミーです。

 

「国立民族歴史博物館」というところに行ってきました。

 

千葉県の成田空港の近くにある、日本の民族と歴史に関する博物館で、規模のわりにはマイナーな博物館ではないでしょうか。博物館系はわりと行っているほうですが、ここはつい最近まで知りませんでした。

 

 

ここ、「国立」なんですね。国立をなめてましたよ、ほんとスケールの大きなよくできた博物館でした。歴史に詳しい人がまじめに見たら1日じゃ足りないと思います。

 

館内は、時代ごとに大きく6つの展示室に分かれていて、小学3年生の息子と一緒に見学したのですが、第1展示室の半分くらいまでで2時間以上かかってしまい、午後遅くいったためそこで閉館時刻となり試合終了しました(笑)

 

第1展示室は人類誕生から古墳時代までを扱ったところで、ここを目的に行ったので満足ではありましたが…。

 

印象として思ったのは、よい研究や学問というのはいろんな分野のことを知る必要があるんだなということでした。

 

たとえば、縄文人が何を食べていたのかという紹介で、北海道では海獣類が多く、東日本ではドングリや海産物をバランスよくとっていた、という説明があったのですが、それがどうやって分かったかというと、「人骨に含まれているコラーゲンの炭素と窒素の同位体比」から推定したそうです。

 

 

炭素と窒素の同位体比???

 

文系の人には何のこっちゃですし、理系でもすぐにピンと来る人は少ないんじゃないでしょうか。

 

それから、歯のストロンチウム同位体比を測定することで移住者を推測したりもできるそうです。へぇ(全然分かってない)

 

また、考古学の年代測定方法として「炭素14年代法」というのは有名ですが、これは自然界にある炭素の性質を利用した年代測定法で、「歴史」や「民族」の話ではなく、どっちかっていえば「化学」の世界ですよね。

 

さらに興味深かったのは、土器の圧痕(あっこん)を調べるという調査方法。

 

 

これは土器に埋め込まれてしまった植物の種子の跡を調べて、当時どういう植生だったのかを調べるというもの。種子自体は分解されてなくなっているので、種子がハマっていたと思われる小さな小さな穴に、シリコンを流し込んで固めて取り出し、その形状を分析するといった方法等で研究しているそうです。

 

これも文系ではなく、理系の分野といっていい。圧痕部分を顕微鏡でのぞいたり、X線で検査したり、種子の形状を比較したり、もう考古学というか化学とか植物学ですね。

 

いつの時代でもそうかとは思いますが、すぐれた研究にはいろんな分野の知見が必要なんですね。まさか民族歴史博物館で、窒素とかストロンチウムとかX線が出てくるとは思いませんでした。

 

縄文時代についていろいろ調べて詳しくなっているので、だいぶ楽しむことができました。おそらく見られなかった他の展示室も充実した内容なんだろうと思います。歴史に興味のある人には、ぜひおすすめしたい博物館です。

 

 

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こんにちは、カミーです。

 

『アイヌは原日本人か』という本を読みました。梅原猛さんと自然人類学者の埴原和郎さんの対談形式で、内容としては、「アイヌの祖先は縄文時代人に求められる」ということが主として人類学の視点から紹介されています。

 

 

アイヌ人も和人(標準的な本州人)も、その祖先はどちらも縄文時代にある。縄文人が文化や環境の変化によって小進化してきたのがアイヌ人であり、和人であると。ただ、アイヌと和人は弥生時代以降くらいから別のかたちで進化を遂げ、アイヌはより縄文人の名残りを強く残している。

 

そんな話を埴原さんが人類学の視点から、梅原さんが言語学の視点から説明しています。

 

これが書かれたのは今から約40年近く前で、現在この説がどうなっているのかは知らないのですが、大筋としては変更されていないんじゃないでしょうか。

 

『最新科学で探る日本史』という2021年に出版された本では、縄文人の遺伝的要素を現在の本土人は10%、沖縄で30%、アイヌでは70%も受け継いでいる、ということが紹介されていました。かなり雑なつくりの本なので(言い方失礼ですが)、オリジナルの研究内容は分かりませんでしたが、最新科学を使った研究で40年前の仮説が検証されてきているといえそうです。

 

縄文時代ってその精神性はよく解明されていません。目に見えるものが、土器や土偶しか残っておらず、言葉や文字記録は残っていないからです。

 

ただ、おそらくアイヌ文化には縄文時代の精神性の名残りがあって、その神秘に包まれた精神文化を知るヒントが眠っているんじゃないかと思います。

 

いまアマゾン調べたら『アイヌと縄文』という新書が2016年に出てますね。アイヌ研究者の方が書かれていますが、こちらも読んでみようかな。

 

 

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こんにちは、カミーです。

 

『縄文探検隊の記録』という本を読みました。これは作家の夢枕獏さんと、考古学者の岡村道雄さんの対談形式で書かれた縄文時代に関する本です。

 

 

会話されたものをおこしたような内容なので、けっこう興味深い仮説が多くて楽しめました。大胆な仮説って、頭の中ではもちろん考えていても、文字として公開されることは少ない、というか文字に残すことには抵抗があるはずなのであまり表には出てこない傾向があります。

 

それが対談形式や講演をおこした内容だと、話し言葉だから割と率直な見方とか仮説がぽろっと出たりする。そんなことをよく感じます。

 

で、考古学者は発掘されたものから確実に言えることしか言わない人たちなので、まあ一般人にはあまり面白くないものが多い(笑)そこを想像力が武器である作家の夢枕獏さんがぐっと踏み込んで聞いたり、うまくまとめたり、はたまた夢枕獏さんなりの説明を加えたりして、全体に緩急のある内容に仕上がっています。

 

ただ、本書のなかで夢枕獏さんも指摘していたのですが、この岡村道雄さんは考古学者のくせに説明にたまにファンタジーが入る(笑)”発掘されたものから分かってることしか言えない”と自分でも言っていて、理詰めで説明はするんだけど、ときどき期待的仮説がさらっと入ってくる。

 

岡村さんと付き合うようになってだんだんわかってきたのは、すごく理詰めのところがありながら、ファンタジーが入るところですね。ー(略)ー 学問の中に期待的仮説がポロッと紛れ込むところが、人間的でいいなあと思って聞いているんですけど。(pp.168-169)

 

そのファンタジーの代表的なものが、縄文時代がユートピア社会だったということ。縄文時代は「真の意味で合理的で、かつ平和的な社会で、今でいう持続的な文化」といっていますが、このことは学問的には決着はついておらず批判もされるようです。

 

僕も縄文時代はユートピア社会だったんじゃないかと思っているので、その仮説自体には賛成なのですが、学者さんがそれをいうと、他の説明ももしかしたら学問的な証拠がないんじゃないかと勘ぐられてしまうのは、なんかよくないのかなとは思っちゃいました(笑)

 

下記、何点か興味深かったことを羅列です。

 

▼土偶はおもに女性がつくったのか、男性がつくったのか、よく分かっていないこと。岡村さんは他の民族事例から女性説を、夢枕さんは自身の陶芸経験や直感から男性説を支持。

 

▼情報と物資を運搬する漂白の人々(旅を生活にしているような人々)が一定数いて、その人たちがヒスイや黒耀石を遠方地に運んだのではないかという話。

 

▼峠や川沿いなどの道は、それなりに整備されていたんじゃないか(根拠不提示)

 

▼合掌土偶は、壊されたのではなくて、アスファルトで修復した跡があった