こんにちは、カミーです。

 

最近のブームは(といってもここ数日ですが)、タオルを濡らしてレンジで1分チンして温めて、それを目の上に乗せることです。目が疲れてどうしようもなくて、試してみたらこれがすごく気持ちいいんです。目が疲れてる方はぜひ試してみてください。

 

さて、諏訪の御柱祭をとりあげたNHKスペシャルを見ました。

 

数年前に放映されたもので、NHKオンデマンドで見たのですが、これが興味深い内容でした。

 

諏訪地方には御柱祭という有名なお祭りがあって、これは7年に一度、森の大木を切って、人の手だけで神社まで運んできてその四隅に立ち上げる、というもの。神社にたどり着く途中で、大木が坂を滑り落ちたり、川を横切ったりします。ニュース映像などで一度は見たことがあるのではないでしょうか?

 

 

番組の内容は、その御柱祭の起源が縄文時代にあるのではないか、という話でした。

 

その理由としては、縄文時代の遺跡で同じように大木を地面に突き立てた遺跡が見つかっていることを中心に紹介。

 

また、稲作文化は、西日本からまず東北地方に伝わり、諏訪のある中部地方に伝わったのは一番最後だったという最新の研究結果も紹介されていました。

 

つまり、縄文時代の諏訪では、農耕(稲作)を選ばずに意図的に従来の生活様式である狩猟採集生活を選んでいた時代があったらしく、諏訪という地域が縄文文化がもっとも色濃く残った地方であることの一端として紹介されていました。

 

縄文時代や古代史の研究者もちょこっと出てきたり、御柱祭のようすを追ったりと、さすがNHK、豪華な内容でしたが、縄文時代にその起源があるという決定的な証拠はまだないようで、研究者たちがどうもそう思っているらしい、くらいの感じでした。

 

御柱祭を代々取り仕切っている守矢(もりや)家の方も出ていて、ミシャグジさまという神様を祀る祠(ほこら)も紹介していました。

 

番組内では紹介されませんでしたが、その祠には鹿の頭の骨が捧げられていて、「あ、これは狩猟採集時代の神様だな」と感じました。

 

縄文人も大木を切って立てる、なんてお祭りをやっていたんでしょうか…ロマンがありますね。

 

 

↓↓↓ポッドキャスト、やってます!↓↓↓
ブログと似たようなテーマで縦横無尽に話してますので、お耳に合いましたらぜひ。

▼Spotify
https://open.spotify.com/show/1GZ3KLLnoBEOBdSg9nWQZb?si=6evMifT9SqW6Z1Ib2CDB_A&dl_branch=1

▼Anchor(ブラウザ上で聞けます)
https://anchor.fm/kammy-room

こんにちは、カミーです。

 

おかず全部つくり終わって、さあご飯だ!と思ったら炊飯器のスイッチ押し忘れてた…チーン…ってなって悲しい今日です。

 

今回は、羨ましいと思った人の話。

 

 

先日、坂口恭平さんの本を2冊買ったと書きましたが、坂口さんのやってきたことが羨ましくて、こんなこと書くのちょっと恥ずかしいですが、なんかちょっと凹みました(笑)

 

どんな人っていうのを一言でいうのが難しいんですが、いろんな種類の本を出したり、絵を描いたり、建築みたいなことしたり、自分で新政府つくったりしてる人です。

 

あとは「自殺しようと思ったらかけてください」と携帯番号を公開してます。

 

これだけ見ると変わった経歴ともいえそうですが、なんか著作から出ているエネルギーはすごいです。ちょっと岡本太郎さんみたい。

 

僕も本を出してみたいし、絵を描いたり写真撮ったりしてそれがお金になったらいいなと思ってるし、新政府とまではいかずとも新しい種類のコミュニティをつくりたいと思っています。だから、羨ましい。

 

躁うつ病ということを公表していて、それをネタに本を出したりもしています。

 

躁うつ病については羨ましくないですが(笑)、病気のことさえもネタにして、なんか全人格で生きてるって感じの人でしょうか。

 

僕も自分自身をひとつの作品として、それで生きていけたらなと思っているので、そういう意味でも羨ましい。

 

羨ましいと感じるということは、そこにどこか自分の将来の姿なりを投影しているってことだと思います。「あ、自分ってこういうことをやりたいんだ」ということに気付けたということでもあると。

 

 

↓↓↓ポッドキャスト、やってます!↓↓↓
ブログと似たようなテーマで縦横無尽に話してますので、お耳に合いましたらぜひ。

▼Spotify
https://open.spotify.com/show/1GZ3KLLnoBEOBdSg9nWQZb?si=6evMifT9SqW6Z1Ib2CDB_A&dl_branch=1

▼Anchor(ブラウザ上で聞けます)
https://anchor.fm/kammy-room

こんにちは、カミーです。

 

 

散歩したときの写真。

 

よく整備された道に見えるけれども、僕は、写真の左のほうの森のなかを歩きたかった。

 

でも、柵でしっかり区切られていて、森のほうに行くことはできません。写真には写ってないけど、真っ赤な字で「無断立入り禁止」とも書いてある。

 

どうして僕は森のなかを自由に歩くことができないんだろう?とすごく不思議に感じました。

 

え、頭悪くなった?なんて思わないでくださいね(笑)

 

そりゃもちろん他人の土地だから、しっかり柵を立てて、ここからこっちはみんなが歩いていい道路、ここからこっちは○○の土地だから入らないでね、ってことです。

 

その現代の理屈はもちろん常識として知っていますが、土地が誰かの所有物ってどういうことなんだろう、という話がしたいんです。

 

地球という土地を区切って、分割して、それぞれが誰のものか決めて、その誰かの許可を得ないと、その土地はいじることができないし、通過することさえできない。

 

これってよく考えたら、ちょっとおかしくないですか?まあ、常識的にみたら僕の頭がおかしいと言われそうですが(笑)、もともとは地球の大地ですよね。それを誰がどう決めて、僕の私のあなたの誰かの土地になったんでしょうか。

 

これがたとえば縄文時代だったら、こんなことはなかったはずなんです。土地をはじめ、森、川、山、海は誰のものでもなく、みんなが大事に使うものだった。所有という概念がほとんどなかった。現代にいきる狩猟採集民の多くも、所有という考えは希薄といわれています。

 

土地に対する所有権が生まれてくるのは、農耕がはじまってから。時代でいえば約1万年前くらい。

 

人類が誕生したのは約700万年前といわれているので(人類をどう定義するかで諸説あり)、それから1万年前までの699万年間は土地が誰かの所有物っていう考えはなかったともいえます。

 

700分の1、1年間になおせば364日と半日経つまで、人類は土地を区画して所有するという考えを持っていなかったともいえます。所有の概念は、人類の歴史上、1年換算でいえば最後の半日あたりで誕生したわけです。

 

こう考えると、「どうして柵があって、その中を自由に歩くことができないんだろう?」という僕の疑問もそんなに頭のおかしいものではない気がしませんか?(笑)

 

散歩の帰り道には、きれいに区画された住宅地も通りました。

 

どこでも一生懸命、仕切りをして、柵を立てて、ブロック塀をつくって、ここからこっちは僕の、ここからこっちは私の、って目に痛いくらい主張している。

 

これこそ不幸の源泉なんじゃないか、と思うのは考えすぎでしょうか…。

 

 

↓↓↓ポッドキャスト、やってます!↓↓↓
ブログと似たようなテーマで縦横無尽に話してますので、お耳に合いましたらぜひ。

▼Spotify
https://open.spotify.com/show/1GZ3KLLnoBEOBdSg9nWQZb?si=6evMifT9SqW6Z1Ib2CDB_A&dl_branch=1

▼Anchor(ブラウザ上で聞けます)
https://anchor.fm/kammy-room

こんにちは、カミーです。

 

なにかを「つくる」って大事だなってあらためて思った。そんな話です。

 

 

先日、本屋でたまたま見つけた坂口恭平さんという人の本を買ってみました。池袋の三省堂で坂口恭平さんフェアみたいのをやっていて、著作がずらっと平置きされていたんです。

 

坂口恭平さんのことは、僕はつい何ヶ月か前に初めて知ったんですけど、いろいろと面白そうな活動をしています。最初に知ったのはJ-waveに出演されていたのを聞いたとき。「土を毎日いじるようになってから、精神的に崩れることはないんですよ」みたいなことを言ってて、へぇおもしろいなと思ったのでした。

 

それからしばらく、特に検索して調べるわけでもなく、著作を買うわけでもなく、記憶の片隅になんとなく存在していただけだったのですが、ふと上述の本屋で気になって2冊購入しました。

 

そのうち『まとまらない人』という本に、「つくることが大事」みたいなことが書いてありました。

 

この本自体、フィーリングで書かれたような内容なので、僕もその説明をフィーリングでしたいと思いますが(笑)、「つくることで精神が病まずに済む」「なにかが欲しいという欲望が出たら、それを自分で作ってしまうとその欲は消える」、そんなことが書かれていました。

 

つくることで気持ちが落ち着く、というのは多いにある気がします。なんとなく落ち着く気がするから、こうしてブログ書いたりポッドキャストやったりしてるんだと思います。

 

つくるっていうのは原初的な欲求であり、それは大人になった誰の心の中にも存在していて、その意味で誰もが芸術家でありアーティストなんだ!人間である以上、なにかをつくり続けなければならない!

 

っていうようなことを、岡本太郎さんが『今日の芸術』という本の中で言っていました(たぶんそんな内容だったと思う)。それと同じようなニオイを坂口さんの本からも感じました。

 

小さい子どもって、放っておくとなにかつくってることが多いです。絵描いたり、布団で基地つくったり、土でお城つくったり。

 

ここで坂口さんと岡本さんの2人がいっている「つくる」っていうのは、大掛かりな芸術品ではなくて、そういう子どもがやるのと同じようなことを意味してるんだと思います。「つくる」の原初にある心が同じっていう意味です。

 

湧き上がる欲求としての「つくる」

 

表現としての「つくる」

 

自分の心を外側に出すための「つくる」

 

認められるためとか、素晴らしい作品をつくるためとか、誰かに見てもらうためとかではなく、ただ純粋になにかを「つくる」。

 

つくるのは、文章でも、絵でも、料理でも、編み物でも、陶芸でも、パッチワークでもなんでもいい。何をつくるかは問わない。

 

大げさにいえば、これが生きるってことなんじゃないかと思えたりもします。

 

なにかをつくりたいなぁってよく思うんですが、「絵を描きたい」「うーん、なに書けばいいんだ?」「何も書くべきものが思いつかない」「意味ないし、いっか」ってよくなる気がします。

 

ぱっと思いついて、すぐになにかをつくる。そんなふうになりたいなと思います。

 

最近つくりたいと思うのは、コミュニティです。快適なコミュニティ。

 

それはこんなイメージです。

 

みなが好きで得意なことをやって、毎日笑顔でいて、大自然と共生していて、子どもは自然のなかで思い切り遊び回り、大人もなにかに追われたりストレスを感じることなく、周りを気にせず好きなことを生業にして、気の合う人たちと無理のないかたちでつながっているコミュニティ。

 

誰も寂しい思いをすることなく、辛くなったら近くの誰かがどうにか助けてくれるし、そもそもそんなに辛くなることはない。可能な限りで自分たちでいろんなものを育てていて、そこで採れた野菜や果物は共有しあって、その大自然の恵みをいただく喜びもみなで共有しあえるようなコミュニティ。

 

メンバーの関係性は湿りすぎることもなく、かといってカラカラでもない、ほどよい湿度を保った関係性。全体を見ている人はいるけれど、突出したリーダーというわけではなく、また、コミュニティから出ていくものも来るものも基本は拒まず、緩やかに各自が気持ち良い範囲でつながりながら、季節ごとにイベントがあったり、共通の趣味や仕事でつながりもあったりする。そんなコミュニティ。

 

坂口さんや岡本太郎さんが言っている「つくる」とはちょっと違うかもしれませんけどね。そういうものがつくりたいと思っています。

 

 

↓↓↓ポッドキャスト、やってます!↓↓↓
ブログと似たようなテーマで縦横無尽に話してますので、お耳に合いましたらぜひ。

▼Spotify
https://open.spotify.com/show/1GZ3KLLnoBEOBdSg9nWQZb?si=6evMifT9SqW6Z1Ib2CDB_A&dl_branch=1

▼Anchor(ブラウザ上で聞けます)
https://anchor.fm/kammy-room

こんにちは、カミーです。

 

天気がよいと気分もよいですが、これって動物も同じなんだろうか?と想像してます。

 

今回はちょっとスピ系の話で、ふと思ったことを書いてみます。「感謝しよう」ってよく言われるじゃないですか。感謝すれば幸せになれる、みたいな。

 

 

感謝の波動が、いちばん高い波動。感謝して波動が高くなれば、高い波動のものが共鳴して集まってきて、そういうことやものに囲まれるようになってハッピー!みたいなことって(ひどく説明雑ですが)、スピリチュアル系では耳馴染みのある言い方だと思います。

 

でも、これってけっこうムズくないですか?

 

感謝しようって頭で考えてる時点で、もうダメな感じがするんですけど(笑)、まあ精神的に参ってるときって藁にもすがる思いだからそういうアドバイスを真に受けて、何にでも感謝しようとしたり、ありがとうって連呼してみたり…。

 

でも、結局なんにも変わらない、幸せにもなれない。逆に感謝の念が湧いてこなくて、なんで自分はうまくいかないんだろう、やっぱ自分はダメなんだっていう悪循環に陥っていく…こういうのってスピリチュアルあるあるだと思うんですけど、どうでしょう?

 

たとえば、毎日それなりに美味しいご飯食べてて、それで急に、「ご飯を食べられることに感謝しよう!」なんて言われてもふつうの感覚だと難しいと思います。ふつうの感覚だと、やっぱり毎日目の前にあるものに突然感謝の念って湧きづらい。いや、湧かないですよ。

 

あー、毎日空気があることってなんてありがたいんだ!

 

って、そんなこと心から思えたら、そいつは相当ありがたいやつです(笑)

 

頭で考えて感謝できるようなら、誰も苦労しないでみんな感謝で、全員即ハッピーです。

 

もちろん、感謝の念が大事じゃないって言いたいわけじゃない。たぶん感謝の気持ちは波動が高くて、感謝を自然に感じられればそれはとても幸せなことだと思います。

 

だからって、じゃあ感謝しよう!ってのは違う。だって自然に感謝できない状況にあるから困ってる、ツラいわけです。

 

僕が思うのは、「好きなことをしよう」もしくは「嫌なことをやめよう」ってことに尽きる気がします。

 

好きなことをしていれば、自然に感謝の気持ちが湧いてくるでしょう。たとえ湧いてこなくても、好きなことしてるんだから精神的に辛くはなりにくいと思います。

 

「幸せになるには感謝しよう」っていう言葉は言い換えると、「幸せになるには幸せになろう」といっているように聞こえてならないんです(笑)

 

そうじゃなくて、嫌なことをやめよう、好きなことをしよう、そうすれば自然と感謝できるようになって幸せになれる、という流れのほうが自然です。

 

悟った人になれば違うのかもしれませんが、僕のような凡人には「感謝しよう」よりも「好きなことやろう」が適切ですね。

 

 

↓↓↓ポッドキャスト、やってます!↓↓↓
ブログと似たようなテーマで縦横無尽に話してますので、お耳に合いましたらぜひ。

▼Spotify
https://open.spotify.com/show/1GZ3KLLnoBEOBdSg9nWQZb?si=6evMifT9SqW6Z1Ib2CDB_A&dl_branch=1

▼Anchor(ブラウザ上で聞けます)
https://anchor.fm/kammy-room