***

 

 

 

 

2022年10月に書いた記事…

 

 

 

 

 

 

この記事に登場した人と

私は今も続いている。

 

 

 

初めて彼と出会った時

季節は夏の終わりから秋に

変わりゆく頃だったけれど

ふいに訪れた穏やかな毎日は

私にとってはまるで

人生のささやかな春のようだった。

 

 

 

しばしの幸福に浸る日々。


 

 

でも季節は巡りゆくものだから

きっといつか春の温かさは過ぎ、

初々しい想いは徐々に形を変えて、

静かに終わっていくかもしれない、

…そんなことも覚悟していた。

 

 

 

過ごす時間が増えていけば

それなりに相手のいろんな面も見えてきて

逆に相手に見せたくないような

自分の弱さやだらしなさも

いつか知られてしまうことになる。

 

 

 

その度に立ち止まって、

「いっしょにいるのは楽しいけれど

それって今だけなんじゃないかな」

とか、

「できることならこのままずっと

なにも変わらないままの関係でいたい」

とか、

「いつか哀しいバッドエンドが来るなら

これ以上期待するのは無意味だ」

とか、未来を先回りして

随分とどうしようもないことを

ぐるぐると考えては凹んだ。

 

 

 

好きになればなるほど

逃げ出したくてしょうがなかった。

自分の中だけで留めきれずに

「付き合っていく自信がない」と

相手に打ち明けては、

悲しませたり困らせたりしたのは

一度や二度のことではない。

 

 

 

 

一緒に居られることが嬉しいのに、

30代後半にも突入していると

ただ楽しいだけでは、

いけないような気がして

幸せなことが目の前にあっても

「でも結局私はこの先

どうしたいんだろう?」とか

現実的なことを考えては

思考がそこで凍結する。

 

 

 

 

ずっとそんな状態だったから、

彼との出来事や自分の感情を

言葉にしようとしても、

なんだかうまくいかなかった。

 

 

 

言葉にしたらなんだか

私の考えていることなんて

あまりにも陳腐過ぎて、

急になにもかも魔法が解けるような気がして

怖くてできなかった。

現実が直視できてないなって

言ってしまえばそれまでで。

 

 

 

何も結論が出ないし、素直な気持ちすら、

うまく言葉にできなくてもどかしい。

 

 

 

そんなふうに私が勝手に思い詰めて

一人で自信を失っているとき、

いつも頭の中に浮かぶ言葉がある。

それは以前読んだ銀色夏生さんの

『私だったらこう考える』という本の

こんな一節だ。

 

 

 

 

もしも私が、この人はすごい!と思う人に出会ったら、その人がだれであれ、私はその人を離さないと思うんです。(中略)そしてそういう人だったら私が今までに難しいと感じていた男女の関係性をやすやすと乗り越えるというか、問題にならないと思います。(中略)

 もしいたらですが。いなかったら、それでいいです。とにかく、今、世間に一般的にあるような関係性は私は全然向かないと思うので、そういう既存の男女の形に自分を無理してあてはめて、人と比べて自己嫌悪に陥るようなことはしたくないです。まったく魅力を感じないんです。よくある男女、恋人、夫婦関係に。あまりにも感じなさすぎて、違う生き物かなと思うくらい。

 ということを50年生きてきて、思いました。

 

 

 

 

「この人はすごい!」と思う人に出会ったら…

 

 

 

今の相手はまさに、

私の長年凝り固まっていた

価値観をおおいにぶち壊し、

そして中途半端な私のことを

そのまんま受け入れてくれる稀有な人だ。

 

 

 

なんども自信をなくすたびに

わたしはあまりにも無意識に

世の中の一般的な男女の関係に

囚われ過ぎていなかっただろうかと

この文章を思い出すたびに

自問自答をする。

 

 

 

 

夏、秋、冬、春、夏、秋、冬…

そうして再び、春が来た。

 

 

 

答えは出ていないままだけど、

こうしてブログに書けるくらいには

自分の中でちょっとずつ

雪が溶け始めたのだと思いたい。

 

 




 

 

 

 

 

 

***