私はサイコパスだと思う | トラウマから自由にするRCメソッド (株)RCM社長 高橋万紀子のブログ

トラウマから自由にするRCメソッド (株)RCM社長 高橋万紀子のブログ

心の整理と心の外科手術専門のカウンセラー
養成もしています。

昨日はちょっとハードでした。


礼拝

→昼食

→緊急カウンセリング

→夢をカタチにする会

→認定カウンセラーお茶会


その間を縫って夕飯を作って出た私エライ。


さて

そのお茶会の中で

サイコパスって何ですか?

身近にいますか?

という話が出ました。


正直サイコパスって

単語はよく聞くけれど

定義がよくわからないな

と思っていましたが、

比較的わかりやすいサイトを見つけたので貼っておきます。



ついでに

「私はサイコパスだと思うけど」

と言ったら

認定カウンセラーの一人が

力強くうなずきました笑


サイコパスは猟奇的なイメージがあって

酷いことを平気でする

みたいな誤解がありますが

それが結果自分の益にならない

と学習したら

やらなくなりますよ。


徹底的に自分の益になることしかやらない

のはその通りです。


他人の益になることをするのが

自分の益になるからやっています。


だから

私は人を愛するけれど

それは自分の益になるからで

感情的には何とも思ってないです。


愛は意思と行動なんで。


でも、結果

情に厚い人や

思いやりで行動する人より

愛そのものの行動になることが皮肉。


私は人間の「良い思い」に

価値はないと思ってますからね。

(多分この辺がサイコパス)


だって

感情が変われば行動も変わるってことでしょう。

なんて一貫性のない。

嫌いになったら優しくできない

とか

意味がわからない。


メリットがないでしょう。


もちろんそういう事象があるのは

理解していますし

現場では

その感情を扱うわけですが

私自身が共感するかと言えば

全くしないです。


多分、

他人を害するサイコパスは

一般人よりは知能が高いかもしれないけれど

自分の益にするまでの計算が

足りないんだと思います。


頭が足りないから目立っちゃうのよ。


まぁそんな私ですが

長く人間社会に適応していれば

人間に似てくるんですね。


最近夫のことを

「ああ、この人は私の家族なのか」

と思った瞬間がありました。

家族ってそういうことか

と腑に落ちたというか。


夫婦関係が平和であるために

いろいろ工夫してきましたが

目的は攻撃されないことであり

「情」って何じゃろ

みたいな感覚でした実は。


こんな私だからこその

神技と呼ばれる技術なんですけどね。

情に全く引っ張られないのは

カウンセリングですごく大事なのです。


それは感情を軽視して扱わない

という意味ではなく

カウンセラーが

相談者さんの感情に

影響を受けないという意味です。


ここを混ぜちゃう人が

私を怖がるんでしょうね。


冷たくしてもメリットがないのに

どうして私が冷たくすると思うんでしょうね。


というのは

人は感情で動くのが普通だし

私も感情で動くのだろうと予想する

普通の人たちには当たり前の思考なんですけどね。


そう考えると

感情に奥行きがない

というサイコパスに関する定義は

普通の人が

感情を過大評価する故の

普通の人らしい表現だな

と思います。


私、感情はとっても豊かです。

微細な感情の動きも観察しています。

感情と行動を切り離しているだけで。


だから

音楽をやれば表現が豊かだと言われたんでしょうね。


私がカウンセリングを

心の外科手術だと言うのは

この辺も絡んでいて

カウンセラーと相談者の

心が行き交う場ではないんですよ。


情に引っ張られて

手術を失敗されるより

確実に結果を出してほしいんですよね、私。


自分がそうだから

他の人にもそうします。


心の交流とかがしたいんであれば

そういうコンセプトのところへどうぞ。

でも

そういうコンセプトのところでは

トラウマは外れませんよ。


トラウマにはトラウマの外し方ってものがあり

感情を満たしてあげることは

トラウマを外す手順にないのです。


納得は必要なんですけどね。

感情にフォーカスすると

トラウマを外す手順から外れますよ。


そっか。

普通の人が私を怖がるのは

仕方がないことですね。


怖がってもいいよ。


結果がほしい人だけ来て。


ご予約はこちら


認定カウンセラー養成講座