ご無沙汰しています。



今年は年明けからも

相変わらず
バタバタしていて、

落ち着かない日々です。



 

今年に入ってからだけでも
 
有名人の訃報が相次いでいますね。
 
 
 
このところ、
身内ごとでも
いろいろあったため
 
 
いざという時
まわりに迷惑をかけないよう
 
自分の『終活』についても
いろいろ考えていかなきゃな…
 
なんて思うことが増えてきた
今日この頃でした。
 
 
 
 
そして、
 
 
先日の
世界的な指揮者の小澤征爾氏の訃報。
 
 

なんとなく
 
自分の中での
勝手な思いからですが
 

ひとつの時代の終わりというか
区切りというか終焉を感じました。
 
 
 
 
吹奏楽部に在籍していた私。
 
当時の顧問の先生の雰囲気が
小澤さんに似ていたんです。
 
 
厳しいけど
おちゃめで
生き方そのものが破天荒で魅力的で
 
小澤征爾さんにも
影響されていた先生でした。
 
 

小澤さんの著書
『ボクの音楽武者修行』を読み、
 
そこからかな。
 
私が
海外への憧れや夢を抱き始めたのは。
 
 

数学者の
 
藤原正彦氏の
『若き数学者のアメリカ』
もおもしろかった覚えが。
 
 
 
だから、
10代で初めてバックパック一つで
欧州を回ったときも
 
当時はベルリンの壁で
東西ドイツに分断されていたけれど
 
西ベルリンまで夜行列車で行き、
 
まず向かったのは
ブランデンブルグ門だった。
 

 
当時は、
ブランデンブルグ門からほど近いところに
ベルリンフィルの練習場があって、
カラヤンや
小澤さんがベルリンフィルの指揮をとった
憧れのその場に行って、
ひとりワクワクしながら
ぐるりとまわって
思いっきり空気を吸い込んだ覚えがある。
 
 
 
 
あれから35年ほどが経つけど
 
 
この、わずか35年ほどのうちに
本当に時代は驚くほど変わった。
 
世界情勢も経済も変わった。
 
 
 
そして、
 
なんとなくだけど
 
 
今、また
 
 
時代の大きなうねりと転換期を
迎えようとしているように
思います。
 
 
 
 
実は、少し前


ここにも書いていた


 
祖母を見送りました。
 




  
御歳100数歳。

100歳を超えても
全くボケていなかった祖母。



コロナで入院し、
面会謝絶だった数ヶ月の間に
ボケが始まってしまったけど


それでも、
昨年面会に行ったときは
覚えててくれた。
 

 

大正、昭和、平成、令和
 

4つの時代を駆け抜け

教科書に載っているような
歴史的な出来事を体験し
 

複数の戦争、大震災を乗り越え
困難な時代にも負けず
人生を全うした女性でした。
 
 
 

おばあちゃんの体験と
同列に並べるには
あまりにも
おこがましすぎるけど
 
 
私が、夫とのあれこれで
悩み、苦しみの真っただ中にいた時も
 
誰にも言わず一人胸にしまって
堪えられてきたのは
祖母の影響も大いにあります。
 
 

一緒に生活してた幼い頃から、
戦時中の話、空襲の話、その中での震災、
戦後の苦労話などを
よく聞かされてきたから。
 
 

辛抱強く
 
そして、最後にはいつも
 

カミーレちゃん
それでも人は強い。

大丈夫、なんとかなるわ~
 
と笑ってくれた祖母でした。
 
 
 
 
結婚の時も
 
 
「カミーレちゃん、
これは旦那さんには内緒でとっておくのよ。
 
女の人は、結婚しても
男の人次第で人生が変わる。

いつどうなるかなんてわからない。

なかなか思うようには
いかなくて苦労することも沢山ある。

女はね、結婚すると
自分だけのお金を持つのが
難しくなるもの。

だからね、
これはいざという時のために
内緒で自分名義で貯金しておきなさい。
保険のようなもの。
大切にとっておくのよ。」
 

って50万円をくれた。
 
 

 
姉妹が多かった祖母。
 
その中でご主人のことで
苦労した姉妹がいて
 
弁護士を立てる事態になったけれど
弁護士費用もなくて
祖母のところまで
お願いにきたことがあるかららしい。
 

 
若かったその当時は
そんな祖母の思いもわからなかったけど
 
実際に体験し
痛みを知った今なら、
その言葉の意味と
心遣いが痛いほどよくわかる。
 
 
だから私も、
娘たちにはそうやって
いざというときのものを
持たせようと思っている。
 
 
 

父のことでも散々迷惑をかけ
尻拭いをしたのは祖父母だった。
 
 
実の自分の息子のこととはいえ、
度々の尻拭いは大変だったし
 
何より悲しかったと思う。
 
 
 
 
 
昨年の夏、
 
たった15分間だけの面会時間だったけど
 
まだ話ができるうちに
会いに行っておいて
本当によかったと思う。

 

あの時、

お互い、

またね、と

言いながらも

これが最後になるかも…

ってどこかで覚悟してたんだと思う。

 

 
だからかな。
 
不思議と
 
お通夜の席でも
葬儀でも
最後の最後のお別れでも
 
涙、涙…とはならなかった。
 
 

 
おばあちゃん、すごいな
 
最後の最後まで生ききったんだなって。
 


 
95歳を超えても
台所に立ち、食事を作り
毎日、新聞を隅から隅まで読んでいた
 
自慢の祖母。
 

 

最後は老衰で眠るように。。
 
 

叔父が選んでくれた遺影は

私と一緒に写った写真から。



本人が気に入っていたし、

優しく微笑んだいい顔をしてるから…

って。


 

 
最後のお別れのとき

またね、

と触れた祖母は


とっても冷たくなっていて


人って

こんなに冷たくなるんだな…

って実感した。




とってもきれいな穏やかな
お顔をしていて

たくさんの綺麗な花にかこまれ

ようやく旅立てるよ…

って微笑んでいるようで

幸せそうに見えた。

 

ふと、

祖父とお別れのときに

おじいさん、
ありがとうね。。

私もすぐだわ
待っててね。

と言いながら

祖母が大切そうに柩にいれた
包みを思い出した。



何?と聞いたら


 祖父が
出征するときに切って渡した毛髪だった。
 



ずっと大事に持ってたなんて
ちょっとびっくりした。



当時はよくあったそうだけど


恋愛でもなんでもない

赤紙がきて
出征が決まってから
慌てて決められる結婚。


お互い、初めて会う人と。




とっても真面目だったけど
気難しい祖父の愚痴を時々呟きながらも

最後のその姿を目にして

やっぱり『夫婦』だったんだなぁって。



戦後の激動の時代を

ふたりで乗り越え

子育てもして
ひ孫たちにも恵まれ

100近くまで手を取り合って
生きてきたふたり。


あっぱれ!だな。


『夫婦』ってすごいな 

ってあらためて思わされたことだった。




そして、

最後の最後のときに
そんな風に思える
おばあちゃんが
ちょっとうらやましかった。



私も、いつか旅立つとき
そんな風に思えるのかな?って。




夫とは

いろんなことがあったけど


できれば
最期のとき

そうあれたらいいな…って

今は思う。







とうとう
柩が閉められる


祖母とお別れするそのときに


祖母の顔を見ながら

誓った。





わたし、

残りの人生、

ちゃんと生きるからね。



おばあちゃんみたいに
全うするから。



残された
これからの
自分の人生


後悔しないよう

誰かのせいにはせず


自分で選択し

やりたいことをやっていくから。




そう決意し、

そう約束した。




それが、戦禍の中
青春時代を送り、
生きるだけで精一杯で
やりたいことができなくても
生ききり

わたしを助けてくれた
祖母への恩返しだと思うから。




終焉。


終わりは始まり。



肉体は滅んで
この世からなくなってしまっても

これまでのおばあちゃんの思い出や
想いは

どこかで私に繋がっていて

それをまた娘たちが受け継いで

きっと紡いでいくだろう。




激動の時代を生き抜いた

映画『タイタニック』の
ローズのように

逞しい血が流れているはず。




娘たちには、

女性であろうが
妻であろうが
母であろうが

臆することなく
自分が自分でいられる
人生を選択し
歩んでほしい。



(かといって

勿論それは

人の不幸の上に成り立つものではないし

誰よりも
彼女たちが自分の経験を通して
痛みを持って理解しているはずだ。)



これだけ変わったんだから

きっとそんな時代が
やってくるはず。






昨日、窓を開けたら春の香りがした。

春の風がカーテンを揺らし
ふんわり入ってきた。


私の中で何かが
変化した。



さぁ、

残りの人生、

自分の道を歩きだそう。



きっと
これまで通り
おばあちゃんが
見守ってくれるはず(*^^*)




私、がんばるね!

おばあちゃん。。










※以前も理由も含め書いたことがありますが、

 

シテイル方、シテイルことを思わせること、

不倫などに肯定的であることを思わせるような

ことを書かれている方、

 

占い、スピリチュアル系

 

そして、カウンセラーさん等の、

 

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