沖縄三日目は帰るだけの日でした。
元々チェックアウトギリギリまでいて、空港に向かう予定でした。
暇だったので、気になってたお店でモーニング食べました。
久々にまともな朝ごはんを食べました(笑)
朝陽をあびながら朝ごはん。健康的!
ホテルに帰った後も、チェックアウトまで何しよう状態で暇すぎて、地図を見ていたら波上宮まで歩けなくもなかったので、食後の運動がてら波上宮まで行くことにしました。
↑途中でみた素敵なオブジェ。
途中にお寺があったので、寄りました。
可愛い猫がいました^^
植物の写真を撮りながら歩いていました。
お花が木に巻き付いているように見えました・・。これは怖いやつなの・・か?!ってなりながら写真撮ってました;;
福州園まで歩いて、そういえばこのあたりはクニンダ(久米村)があったーって気が付きました。
以前は車でまわったので、あまり気にしてなかったけど、けっこう波上宮と近いんですね。
さすがに福州園まで入る時間がなかったので、外から眺めながら歩きました。
すぐ近くに天妃宮があるなと、寄ってみました。
護国寺にも寄りました。
疎開中の船が撃沈されたそうで、供養されていました。
またペットさん供養もあったので、拝んで帰りました。
やっと波上宮に着きました。
太陽が雲に隠れていた状態でも、けっこう晴れていました。
その後帰るはずが、ヒヌカンに引っ張られたので寄ってみました。
ヒヌカンと思って行ったら、ガーや龍神も祀られていました。
神様だけじゃなく、昔のジュリの拝所もありました。
ジュリとは、琉球の花街で働いていた女性のことです。
拝んでいたらたくさん女性が出てきたので、まだ未浄化の方がいらっしゃるなぁと思いました。
ここのヒヌカンと龍神を拝んで、出てきた方を上げて頂きました。
クニンダも近く、ヤマトや東南アジア、中国などの商人たちが出入りする地域なので、おもてなしのために作られていたようです。
「辻の女性は、「アンマー」(ジュリの抱え親・貸座敷の女将)を筆頭に、「ジュリ」、「ナシングヮ」(アンマーが産んだ子供)、「チカネーングヮ」(貧困のため幼い頃に「辻」に売られた子:「コーイングヮ」ともいう)などで擬制的家族を作り、「辻」の親・姉妹はもとより、故郷の親・兄弟をはじめ、人間社会における義理・人情・報恩を第一の教えとして生活した。
また、神への祈りと祭りを取り仕切る「盛前(ムイメー)」と呼ばれる神職を中心とした女性による、女性のための自治組織を整え、二十日正月(はつかしょうがつ)の「ジュリ馬(うま)」行事を始め、言葉・立ち居振る舞いから、衣裳・髪型・料理・芸能に至るまで独自の文化を創り上げた。」
とあり、疑似家族を作ったり、神職がいたりと、本土ではあまりない文化だなと思いました。
ここの拝所やガーを管理していたのは、盛前(ムイメー)かもしれませんね。
最初は波上宮に呼ばれたのかと思っていましたが、こちらの方だったのか~となりました。
実は個展のための下見は、二か所を予定していました。
二か所目が県庁に近かったので、そのあたりでホテルをとりましたが、二日目があまりにタイトなスケジュールでお約束の時間に行けそうもなく、キャンセルしました。
ただ一日目に行った、一か所目の会場の方は実際に行ってみると、近くの神様に呼ばれたと思ったので、私の中では一日目の会場かな?!と、思っていました。
結果的に二か所目は見に行けませんでしたが、これも必然かと思います。
三日目までは
「それならなぜ県庁の方のホテルになったんだろう」
って思ってたんです。
本命は一か所目の方だったので、その近くのホテルをとりたいと思っていました。
でも一か所目の近くのホテルをうまく探せなくて、今回は実は県庁の方なのかな?!くらいに思っていました。
県庁近くに泊ってなかったら、波上宮に行こうとはならなかったと思うので、三日目も結局は拝みが入ってたんだな~と感じました^^;
ほんまにブラック企業…('ω')…
はーやれやれとホテルに戻っていたら、孔子廟に着いてしまいました( ;∀;)
予定にはなかったですが、ここも以前来たことがありました。
天妃宮と孔子廟、福州園は何年か前にセットでまわったことがあります。
孔子廟はクニンダに住んだ中国の帰化人の子孫の方が、管理されていると聞いたことがあります。
明治の北海道の開拓民が、地元の神様の神社を建てるような感じでしょうか。
ホテルに戻って、さっそく空港に移動しました。
三日間拝んでまわったせいか、すごく疲れていて、帰ってからすごく睡眠をとってました_(:3 」∠)_
充実していたけど、やっぱり疲れました(笑)
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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