皆さん、こんにちは。下関へ行く機会に恵まれたので巌流島と赤間神宮に行ってきました。まずは巌流島の御紹介から。巌流島、ご存知ですよね。名前は知っているけれども行ったことはないと言う方が多いのですが、筆者もその一人で、漸く訪問の機会にめぐまれました。下関と言えば、巌流島、赤間神宮、旧英国領事館などなどほかにも多くの見るべき場所があります。今日はそのうちの一つ、巌流島についてのご紹介です。まずその前に旧英国領事館の紹介です。残念ながら休館日でした。
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今回は,唐戸の桟橋から、渡船で向かいました。巌流島行の船の様子。小さな船ですからひんぱんに大型船が航行する関門海峡を通るのでちょっとした波を受けるとよく揺れます。
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船内から写した巌流島の様子です。
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木々が茂っていて大きく見えますが、ちっちゃな島です。元来船型をした小さな島なので船島と呼ばれていたようです。明治になって開削が進み島は倍以上に大きくなり100.000m2位ある様です。砂浜の周りには護岸も設けられていますので、今では決闘があったとされる江戸時代に比べて全く様変わりしているようです。巌流島の桟橋の様子。
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巌流島の名前は決闘を行った佐々木小次郎(号名 巌流)の巌流にちなんだものです。どうも日本人の特徴である弱い者ビイーキで負けた小次郎の方が優先されているようです。本来なら勝った宮本武蔵の武藏島となるのが順当のような気も致しますが・・・・。巌流島は、現在では決闘の聖地と呼ばれていてすべて観光資源のなせる技です。上陸して少し歩いて行くと、決闘文学碑と呼ばれる(決闘と文学が結ぶのはどうもイメージしがたいのですが)
モニュメントがあります。
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右側の船形をしたものが文学の碑で左の柱には巌流島と書かれていてここで決闘がありましたと書いてあります。文学の碑の文言は次の様に刻まれています。
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情趣一杯の表現となっています。モニュメントを通り過ぎて島の中央部近くへ進むとに小次郎と武蔵の決闘の像があり、そばに説明の碑があります。小次郎については諸説ふんぷんで決闘時にはヨボヨボのおじいさんであったとか、小次郎の名前も、いろいろと言われている様ですが小倉碑文によれば佐々木巌流と記録されている様でありますし。いづれにしても映画で見たような形にしておいた方がよいのかも。
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決闘の像から少し桟橋側へ戻ってくると佐々木巌流の石碑が建っています。石碑は昔は島の中央近くにあったものを開削の時期に現在位置に移設したとも書かれています。石碑には、佐々木巌流と刻まれています。
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さらに桟橋近くへ戻ってきますと舟島神社があります。
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奥の祠には地神大神と刻まれた石碑が安置されています。
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舟島神社の名前も旧来の舟島によるものと思われます。巌流島からは関門橋が遠望できます。
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巌流島のご紹介はここまでとして、赤間神宮は、下関その2でご紹介いたしましょう。過去のブログリスト(ここをクリック下さい)。