皆さん、こんにちは。新型コロナの感染防止のために、外出を控えていましたので新たなニュースのご紹介は、休眠しておりましたが、世界文化遺産である三池炭鉱関連資産の一つであります宮原坑(みやのはらこう)を訪れる機会がありましたので、ご紹介いたします。2015年7月三池炭鉱関連資産は、「明治日本の産業革命遺産」の製鉄、製鋼、造船、石炭産業の一構成要素として文化遺産に登録されました。宮原坑第一竪坑は、1898年(明治31年)に楊炭、入気、排水を主目的として完成し、掘削を開始いたしましたが、掘削現場は、地下150mと大変に深く、高温と湧水で作業場は非常に劣悪であり、一方、七浦坑や、宮浦坑などでも湧水による環境の劣悪化が進み掘進夫などの環境を改善することが急務となり、3年後の1901年(明治34年)159.6mの深さを持った人員昇降に加え、排気、排水、楊炭の機能を持った宮原第2竪坑(156.9m)が新たに設けられました。英国より輸入されたデビーポンプの威力が素晴らしく、その結果七浦坑の排水問題も解消し三池炭鉱は最深部へと掘削を進めることができる様になったといわれています。現在の第2竪坑櫓は鋼製なので他の竪坑櫓が木製なのに比べて耐久力が高く、現在でも設置当時の姿を残していて、現存する最古の竪坑櫓です。

 

竪坑の遠景は、遠くの民家と比べると非常に大きく見えますが、高さは、約20mあります。

 

 

手前のレンガの構造物は、昇降機の上げ下げを行うウインチやワ

イヤなどを収容する巻き上げ機室の壁です。現地での見学では地底深くへ入れませんが、巻き上げ室に入ると巨大な巻き上げウインチのギアーを見ることができます。のぼり用と下り用のワイヤがドラムにまかれています。ちなみにウィヤの保守点検がよく一度もワイヤの切断事故は発生していないようです。


巻き上げ機室の外には排水管が昔の姿で残されています。この排水管も鋼製なので往時の姿をそのまま残しています。。

在りし日の第一竪坑の画像が展示されていたので、ご紹介いたします。右側の竪坑が第一に当たります。第2よりも東側に位置しています。

三池炭鉱では楊炭した石炭を三池鉱より積み出すために三池炭鉱の各坑口より三池港と直結する三池炭鉱専用の 鉄道が敷かれていました。筆者がまだ荒尾地区に居住していたころの昭和47年(1972年)ごろには、まだ軌道を走る列車を見ておりました。宮原第2竪坑のすぐそばには、専用鉄道の軌道敷の址が残されていて軌道の枕木を見ることができます。

 

 

 

 

軌道は谷状の場所を通っていますが、宮原第2竪坑の場所は土地がかさ上げされていた様です。

所で三池炭鉱については、昭和38年(1963/11/9)、三川坑で炭塵爆発が起こり多くの方が一酸化炭素中毒の被害に遭われ長年にわたって被害に苦しまれたことも記憶に新しいところです。これを契機に三池争議が長期間にわたって續きました。ただ、悲しい記憶ばかりではなく、昭和40年三池工業高校が第47回高校選抜野球大会で甲子園に初出場、初優勝の快挙を成し遂げたことは、明るいニュースでした。