皆さん今日は。下関その2、赤間神宮のご紹介です。その1(ここをクリック下さい)では巌流島をご紹介いたしましたが、赤間神宮のご紹介です。参詣するまでは、たいしたことないだろうといったイメージを持っておりましたが、いやいや、神宮の内部は素晴らしい。まだ訪問されていない方は訪問されますことお勧めです。神宮の正面の様子.向かって右側が水天門です。神宮は先の太平洋戦争の際に、下関爆撃の際に被災し火災のために燃えてしまい新たに再建されています。


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神宮の縁起を書いた板碑があります。
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ご祭神はもちろん第81代安徳天皇。歴史的な背景を書く前に、まず水天門についてご紹介しましょう。碑文によれば、水天門は、昭和32年関門国道海底トンネエルの完成と、下関市制70周年を記念した大博覧会開催の秋に昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の御歌「今も猶袖こそぬるれわたつ海の龍のみやこのみゆきおもへば」に鑑み、竜宮つくりとして造営され、昭和33年4月7日、昭和天皇,香淳皇后両陛下による神門のお通り初めを賜ったものです。その際、赤間神宮、安徳天皇阿弥陀寺陵に詣でてと題して「みなそこにしつみたまひし遠つ祖をかなしとそ思ふ書みるたひに」の一首を賜っています。つまり天皇様の御陵であります。その安徳天皇阿弥陀寺陵の様子です。
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さて安徳天皇の歴史的な背景の一端をご紹介いたしますと、安徳天皇は平清盛の娘の徳子(建礼門院)の子に当たり、清盛の政略によって生後わずか1か月で皇太子となり、二歳にならないうちに即位された方でありますが、いづれも清盛の都合によるもので、福原遷都、更には九州福岡へ落ち延びる(ここをクリック下さい)など、平家が戦いに破れても、天皇を手放さなかったので安徳天皇は辛酸をなめられておいでです。最後は皆さんご存知のように、源氏との壇ノ浦の戦いに敗れて、祖母の二位尼(清盛の妻時子)とともに入水されたもので御年6歳でした。
さらに神宮の奥へまいりますと平家一門の墓があります。
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墓地の横には芳一堂があり、一門の墓を守っているようです。
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みなさん、小泉八雲の怪談に出てくる、耳なし芳一の話はご存じでしょう。まさにここで起こった話とされます。盲目の琵琶法師芳一は、ここで、平家の怨霊を封じるために一心不乱に祈っていたのです。芳一の話の内容は皆さんご存知でしょうからここでは割愛いたします。小泉八雲は、この話を知って、怪談として書いたものです。ここに来るまでは、ラフカディオハーンが住んだ島根の話かと思いこんでいましたので、目から鱗でした。一度はお参りされてみては如何でしょうか。過去のブログリスト(ここをクリック下さい)。