はな・てんと<父の備忘録062 | かめおかゆみこの≪表現するからだとことば≫塾

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060 弔辞のなかで、こんな一節があった。

 

市の観光スポットになっている「はな・てんと」、

三〇数年前は雑草の繁る土地でありましたが、

美しい花を咲かせようとの強い思いで、〇〇友

の会々員数名で「花壇」の基盤整備に尽力、ボ

ランティアの先駆けとしての役割を担いました。

 

※写真はこちらから拝借しました

 

私も何度も行ったことがある。季節ごとに彩り

が変わる、本当にきれいな場所だ。

 

ここの特徴は、複数の市民団体が、それぞれの

区画を担当・管理して、花を育てていることだ。

区画ごとに団体名を書いた札も差してある。

 

よく手入れをしているところ。ちょっと手抜きをし

ているなというところ。花壇の様子を見ると、一目

瞭然。そんなことも楽しかったりする。

 

父からは、「ここに関わった」という話を聴いたこ

とはあったが、市民団体としてどこかの区画を担

当した、くらいにとらえていた。

 

けれども、O氏の話によれば、成立そのものに

(間接的であれ)関わったということがわかる。

 

旅行客が来ると、ほぼ毎回、ここにも立ち寄って

いたことを思うと、それなりの思い入れがあった

ことを、いまさらながら思う。

 

先日、四十九日のお参りでお寺に行く途中に、こ

の「はな・てんと」の前を車で通ったときにも、そ

んな話が出た。

 

すると、同乗していた甥たち(妹の子ども)が、は

じめて知ったということを言っていた。身内であっ

ても、話をしないとわからなくなるということだ。

 

そういえば、「はな・てんと」って、何となく、「花テ

ント」と表記する印象を受けるが、おそらく、「花・

天都」だろう。ここは、天都山のすそ野だから。

 

余談だが、天都山は、「1925年(大正14年)、北

海道網走支庁長であった渡辺勘一氏が『天ノ都

ニイル心地ガスル』と名言を残したのに由来」す

るという。(出典はこちら

 

その美しい天都山と、みずからが育てた「はな・

てんと」を、父はいま、天から見下ろしているのだ

ろうな。

 

 

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