かめおかゆみこ です。
かめおかの完全日刊メルマガ「今日のフォーカスチェンジ」は、
2003年11月1日創刊。以来、1日の欠号もなく発行をつづけ、
現在、連続発行記録では、女性では日本一です。
毎日、感想をいただきながら、なかなか、アップする時間がなく、
自分ひとりで読ませていただくだけになってしまっていますが、
時間のとれるときに、少しでもご紹介していきたいと想っています。
先週、2018年7月6日、第5361号
「猫には、猫らしさ」を、発行しました。
それにたいして、読者のC・Sさんから、感想をいただきました。
やや長文ですが、全文転載させていただきますね。
犬には犬に、猫には猫になれ、ですが。これは、私は、あまり意
識していなかったですが、昔からできていたと思います。
それは、母のおかげです。
自分を絶対曲げない人に育てられたおかげで、自分が生き延び
ていくためには、相手の思考を受け入れて、そこに合わせていく
しかなかったので、
多くの場合、相手に合わせて人間関係を築いてきたので、ある
程度の距離までは、うまくいくし、重宝されました。
なので、短期で仕事をする場合、もしくは、相手がリーダーで、
それに合わせて手足となって動けばいい場合は、自分で言うの
も、なんですが、結構優秀なサポーターだったと思います。
実績として、そういう立ち位置では、それなりの成果を上げるこ
とができました。
しかし、それを続けていると、相手は私が猫であるのに、犬であ
ると、勘違いしてしまうのです。そして、更なる、犬思考を求めら
れます。そして、更に要求も高くなります。
すると、猫が犬のフリをしているので、苦しくなってしまうのです。
相手は、自分に合わせてくれる人が犬だと信じて安心して任せ
てくれているので、猫が苦しんでいるなんて思わないのです。
そして、猫の具合が悪くなると、猫に不信感を抱き、去っていき、
新しい犬を探して仕事します。
犬で成功してきた人は、新しい犬を探せば、なんの問題もなく
仕事できるので、犬上司さんは、困りません。(ちょっとは困って
いるとは思いますが)困るのは犬のフリをしていた猫です。
(まぁ、新しく探し当てられた犬さんも、若干戸惑うかもしれませ
んが)
もちろん、そこで、新しい仕事を探せばいいだけかもしれません。
でも、フリーランスではない、ある程度固定された職場で仕事を
している場合は、人間関係がなんとなくギクシャクするので、空
気が悪くなってしまいます。
そんな中で、以前のようには接してくれなくなった人の近くで仕
事をするのって、かなり辛いです。
自分が猫であることをどこかの時点で表明しながら、犬に合わせ
るやり方をしていれば、さほどのことにはならないのだと思います。
ただ、多くの場合、上司は指導力のある人ほど、自分に自信を持
っていて、自分のやり方を教え込もうと頑張る人が多いので、猫を
表明するタイミングを探すことすら、ストレスになることが多いです。
ならば、職場を変える、異動希望を出すという、方法もあるかと思
います。
でも、そこまでに至らないように、人間関係をなるべく、円滑に相手
の正しさや、思考を尊重しながら、それでいて、自分が苦しくならな
いような仕事の仕方を模索しなければと、日々試行錯誤中です。
私の場合、AC(アダルトチルドレン)で、自己肯定感の低さから相
手に過剰に合わせすぎるため、その苦しさが起こってくるのだろう
と分析していますが、
私ほどではなくても、案外、上司に対して従順で、重宝される人っ
て、似たような葛藤を抱えている人もいるんじゃないかなぁ?なん
て、ふと、思ってしまったのですが、
やっぱり、こんな風に感じるのは私だけでしょうか?
結局は、自分がどうありたいか?に帰結するのかなぁなんて、思
結局は、自分がどうありたいか?に帰結するのかなぁなんて、思
わなくもないのですが、
やはり、仕事をしている以上、その職場で自分が苦しくならない程
度に、最大限の効果を上げることを考えて、職務に当たりたいと考
えています。
もしかしたら、これは、単なるグチなのかな? 書いていて、自分
もしかしたら、これは、単なるグチなのかな? 書いていて、自分
でも分からなくなってきました。読んで感じたことを率直に書いて
みました。
C・Sさん、ありがとうございます。
メルマガを読んでくださって、感想をいただけるのは、とてもうれ
しいことです。
私は私で、想いをもって発信をしていますが、それをどう受け止
めるかは、読者さんの自由です。ご自身の思考のヒントにしても
らって、かまわないわけです。
C・Sさんの感想は、まさに、メルマガにたいする直接の感想とい
うよりも、ご自身の体験をふり返るきっかけにしていただいてい
るなあと感じます。それはとてもありがたいことです。
自分と気質(や、ものの考えがたなど)のちがうひとに、自分の
気持ちをわかってもらうのは、至難の業です。
どんなことも、気がついたひとしか変えられません。それゆえに、
変えられるのは、その状態を自覚している自分のがわです。
その際、がまんするとか、自分の気持ちを押し殺すという方法
ではなく、相手との関係性を変えることが望ましいと想うのです。
相手にないものをもとめるのではなく、相手のもっているもの
を活かしながら、折りあうところを見つけるという方法です。
ただ、C・Sさんの場合は、相手がお母さんだったために、気が
ついたときには、その枠組みにはめこまれ、C・Sさんなりの
「生き延びかた」を見つけるしかなかったのだと想います。
私自身は、C・Sさんのような体験はしてこなかったのですが、
人間関係においては、また別の苦しみを体験しています。
それらのことをあわせて、いまは、こんなふうに考えています。
メルマガ第5346号「これは、『通過儀礼』なのだ」(2018
年6月21日発行)で、詳しく書きました。
シンプルにいえば、C・Sさんは、C・Sさんの「通過儀礼」を、
私は私なりの「通過儀礼」をとおして、自分というものを構築
してきたのだと。
個別にみれば、それは、一人ひとりことなった体験になると
は想います。
でも、その体験は、そのひとが生きていくうえで、引き受けざ
るを得ないものであり、引き受けるということは、それを超え
ていくということです。
実際、C・Sさんは、これだけのこころの変遷を体験してきま
した。もちろん、苦しまずに生きてこれるなら、それにこした
ことはないと想うでしょう。
でも、それを体験したことで、C・Sさんは、より深く、こころ
というものを探求し、その理解を深めてきました。それは、
体験しなければ選ばなかったことだと想うのです。
その深い洞察は、お母さんには体験しえなかったことでし
た。ある意味、お母さんは、お母さんなりの方法で、C・S
さんに、超えるという体験をあたえてくれたのです。
素直に受け入れたくはないと想いますが、お母さんとの出
会いが、この洞察を生んでくれたとも言えるのです。
>結局は、自分がどうありたいか?に帰結するのかなぁ
そうだと想います。すべてのひとが、そのようにして、その
ひとそれぞれの体験を生き、自分のありかたを模索して
いくのだと想います。
C・Sさんもまた、人生をかけて、今回の課題を超えていき、
それによって何かを獲得し、誰かに何かを伝え(あたえ)て
いくのだと想います。
もっと言えば、そのように自覚したとき、自分の人生が、
本当に自分のものになるのだと想うのです。
少なくとも、私は私のプロセスをとおして、そういう結論に
いたりました。これが唯一絶対のこたえとは想っていませ
んが、ひとつの参考にしてもらえたらと想います。
※写真と、本文は直接関係ありません。
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