かめおかゆみこ です。
2003年11月1日に創刊した、日刊メルマガ「今日のフォーカス
チェンジ」が、この7月10日に、完全連続発行5000号を達成し
ました。 メルマガ連続記録は、女性では日本一です。
その記念として、自分の人生ドラマをまとめています。
幼少時から26歳まで、30回ぶんのエピソードは、こちらです。
31★記憶のふた
第30回で、内観研修所にはいった話を書きました。田舎に帰る
ことだけは決まっていたけれど、未来も見えず、こころのなかは
ぐちゃぐちゃのままでした。その整理をつけたかったのです。
きっかけは、竹内さんの教室で出会った友人が、「気持ちを切り
替えたいときに、ときどき行くよ。1週間、ぽかーんとしてくるんだ」
と、聴いたからです。
何しろ、1週間、お寺にこもって、朝から晩まで自分を見つめる、
というのですから、自分にできるかなあと思っていたのが、友人
のことばに、ちょっと勇気づけられもしたのです。
がっ、あとで思うに、どう考えても、これ、性格のちがいというか、
スタンスのちがいというか…。初挑戦した私の最初の印象は、
「まぢですか~!」(当時、まぢという表現はなかったですが)
でも、いまは、「あのことばを真に受けたから行ったんだな~。
よかった」と、思っています。「すごくきびしいよ」と言われていた
ら、びびって行かなかったかもしれませんから。
何しろ、朝6時から、夜9時まで、部屋の四隅に、屏風を立てて、
半畳ほどの空間にこもるのです。(姿勢はどうでもいいのですが)
食事も、そのなかで食べます。1週間のあいだ、外出禁止、電話
禁止、手紙禁止、いまならメール、ラインも禁止でしょう。他のひ
ととも、一切口をきいてはいけません。
要は外部の情報を遮断して、そのあいだ、あたえられた質問に
ついて、考えつづけるのです。
最初の質問は、たしか、「3歳のとき、お母さんにしてもらったこ
と」だったと思います。当然ながら、ほとんど思い出せません。
2時間おきに、「先生」がいらっしゃって、「何を思い出されました
か?」と訊かれます。でも、何もないのです。苦しまぎれに、ひと
ことふたことは話すものの、ほとんど出てきません。
何をこたえてもこたえなくても、「先生」は、「ありがとうございます」
とだけ言って、ただ手をあわせ、「では、(2時間後に)よろしくお
願いします」と、屏風を閉じます。
はっきり言って、苦行でした。
一体、友人は、この状態で、どうやって、「ぽかーん」とできるん
だ?! だまされた!と思いました。
それでも、2時間ごとに確認の訪問があるので、思い出す作業
に没頭せざるを得ません。(ここが、天秤座・A型・長女の几帳面
なところ)
記憶なのか捏造なのかわからないことを、ぽつぽつと話している
と、なんとなく記憶の糸がつながってくるというか、少しずつ思い
出せるようになってくるのですね。
ちなみに、質問は少しずつ変化して、「4歳のときの…」「お父さ
んにしてもらったこと」というふうに進んでいきます。
転機は、3日目くらいにやってきました。
突然、「記憶のふたがひらいた」ように、ぶあーーーっと記憶が
あふれ出してきたのです。
正確には、3日間、ずっと、質問を頼りに記憶をたどっているうち
に、シナプスがつながったということなのでしょうが。そこから先
は大変でした。
それまでは、必死に記憶をしぼりだす感じで話していたのが、今
度は、あふれてあふれて、池の鯉が口を開けてエサを待ってる
感じで、「早くきてくれえ、口からあふれる~」という感じ。
そして、実際に、記憶は、こんな細かいことを覚えていたのか!
と思うようなことまでが、出てくる、出てくる。
こんなに、たくさんのことをしてもらっていたんだなあ。こんなに
気にかけてもらってたんだなあ。自分は自分にとって、都合の
いい記憶だけをセレクトしていたんだなあ。
当時は「フォーカス」なんてことばは知りませんでしたが、自分
の記憶が、いかに自分本位であったかを思い知りました。
結局、自分で自分を苦しめていたんですね。
たしかに、苦しいと思うきっかけはあったと思うけれども、どこ
かで、「苦しい自分が自分らしい」というか「自分は苦しくある
べき」みたいに、思いこんでいたのですね。
涙があふれて止まりませんでした。
内観の話、あと1回だけ、つづけます。
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