湘南陽光電しゃ館 神仏と自然館+精進落としと飯 -13ページ目

湘南陽光電しゃ館 神仏と自然館+精進落としと飯

ヤフーブログから引っ越してきました!。
鉄道館とは別に、神さま仏さまの居られる景色、
花/木、そしてその場所の空気感をお伝えいたしたく、
撮影した写真を掲載しています。
そして、お詣りの後は精進落としを。
「気」がピュアのままだと、疲れちゃいますからね!。

昨日、少し帰りが遅れましたが、日没前?には「送り火」を焚いてあげることができました~。※画像はお借りしたものです。

「送り火」とは基本、「迎え火」とは逆の手順ですから難しい事は無いのですが、小生のオリジナルかもしれませんが、牛馬用のお水受けの水を取り替えておきます。

般若心経を盆棚の位牌の前でお唱えした後、大蝋燭を灯して※実は先に点けるのを忘れました、準備が整いましたら、多分とっくの昔に用意万端で旅姿で待っていたであろう仏様方に「点けますよ~」と一声かけます。

それと、今年初めてやったんですが、お盆で帰れない/帰られない/帰るところが無い/そもそもお盆をしない、あちらの世でのうちの仏様方の「お友達の仏様方」のために「お土産」を持って行ってもらいました。

量はお盆の帰省に買って帰る「お土産」とは比べ物にならないくらい少量ですが、昔であれば、お精霊さまの河流しのときに一緒に流して上げられれば良いのですが、※ビニール包装は破いてです、ビニール包装のまま開封していないとあちらの世にお帰りになった時に折角のお土産を開封することができませんから、あらかじめ開封して半紙に包んで差し上げました、現代では河流しはご法度ですから、送り火を終えた後で庭を少し掘ってお精霊さま※牛馬/飼い葉、「おみやげ」を入れて浅く土かけをして埋めました。

たしか「おみやげ」のお話と共に、識子さまの著作に書かれていたからです。

今までは、お精霊さまの牛馬/飼い葉はゴミとして捨ててしまっていましたから、なんとなく後ろめたさがありましたのでちょっとホッとしています。

それと毎年感じるのですが、なんだかんだ言っても、仏様方、あちらの世にお帰りになるときは二の足を踏まれるようで、「送り火」の苧殻から立ち上がった煙が「迎え火」のようにスッと動かず、玄関の中から外へと向かわず玄関の中へ入ってしまうのです。

二三回繰り返したところで苧殻が燃え尽きそうになって、慌てて、「んモ~・・・」となって焙烙をさらに外側へ移動するとやっと煙が天空へと立ち上っていくのです。

煙に「来年はここへ帰って来れないかもよ~」「新のお盆は今年が最後、旧盆になるかもよ~」「田舎の実家を知ってる親父かヨッちゃん※花巻のおばちゃん&キミさん※岩手県初の女医さん、ヨッちゃんのお母さん、についてきてね~」と一声添えて見送りました。

「はー、帰った~」とホッとしつつ、焙烙に残った残り火と苧殻の燃えカスを見ると、何となく、ちょっとさびしい気持ちになるのは不思議なものです。

今年は「迎え火」「送り火」ともちょうど雨が上がって、仏様方も濡れずに行き来なさることが出来て良かったです。

「送り火」を焚いて、「土埋め」もして小一時間、さっさとと言うと仏様方には申し訳ないのですが、盆棚やお飾り/盆提灯も解体撤去、位牌もお仏壇に速攻で戻して、平時と同じ状態に戻しました。

親父/お袋さま、ヨッちゃん&キミさんのご位牌を戻すときは、一か月後にまたお会いしましょう~、でも今年は大丈夫かなぁ」と声掛けするのを忘れずに・・・。

 

まずはこれ↓をご覧ください!。

まるで外国の教会の燭台のようですね!。

でも違います。これはれっきとした日本国、小生の田舎岩手県北内陸部で現代でも実際にお盆で行われている風習で「48灯篭」と言います。

青森三八/岩手県北内陸部にお住まい、もしくは出身の方々にはなじみ深いお盆の光景でしょう。

いわばお盆の迎え火の一種といっても良いと思いますが、これを行うのは故人が亡くなって初めてのお盆、新盆ですが、これを入れて3年間のみ行われまして、4年目からはもう行いません。

いわば新米仏さんの故人が初めての帰宅で迷わないように、目印として焚く、と思われているようですが、どうもこの風習には結構、深いいわれがあるようで、以前調べて掲載した記事↓に詳しく書いてありますので、興味のある方は読んでみてください。

https://ameblo.jp/kamesansgameblo/entry-12468517365.html?frm=theme

小生の田舎ではこれを自宅で行いますが、菩提寺の宗派によっては新盆のみ1回だけ、それもお寺様で行うということもあるそうです。

ですから、ご家族でもご親族の方でも、お知り合いやご近所さまの中でどなたかが新仏様になられないと、お目にかかることはない風習です。

さらに、この「48灯篭」、略して「しじゅうはっと」が行われることがわかると、開始時間を関係の方々やご近所さんに告知して、皆さんが集まったところでロウソクに一人一人が火を点けていきます。

48本+1本=49本全てに火が灯ったところで、個人の話や世間話やら最近の近況やらをみんなで語り合い、ロウソクが一本また一本と燃え尽きていくと、いつの間にか会話が途切れ、消えていくロウソクに皆さんの目が注がれ待てい来ます。

やがて、最後の一本が消えてしまうとそこで会は御開き、そのまま飲み会へと流れたり、次の「48灯篭」のお宅へ向かったりして三々五々、散会となっていきます。

この風習をお盆の14/15/16日、3日間続けるのです。

3日連続で参加される方も居られますし、1日だけの参加でも良しだそうです。

この「燭台?」本体は、この時期のみ地元の特定のお店でしか扱いは無かったそうですが、今では地元スーパーのジョイスでも扱うようになったそうです。

各戸各人がロウソクの火が消えた後の始末を簡便にするために、回を重ねるたびに工夫が進化していくのをみるのも面白いです。

従妹宅では48本ロウソクを、あらかじめ釘が打たれた腕木に立てる前に下にキュウリのスライスを敷いて溶けた蝋の清掃を安易にできるようにしたり、蝋燭も短い時間で燃え尽きるものに変えたりして、今の時代に合わせた時短モードで灯したりしていました。

毎日48+1本のロウソクを消費ますから、49×3日=144本そろえておかないといけないので、買い忘れて足りなかったりするとえらいことになります。

また、この時期はスーパーなり仏具店ではロウソクの在庫を切らさないようにするのが大変なのではと。

勿論、宗派宗旨で「48灯篭」を行わないお宅もあります。

普段はほとんどのお宅が、松の根を苧殻の代わりに焚いて迎え火にしますので、スーパーにも松の根が並んでしたりします。

ただ、小生の田舎本家では迎え火/送り火は焚かず、13日に菩提寺へ出向いて自家のお墓で仏さまをお迎えし、主人が故人さま方の魂を肩に乗せて連れて帰ります。

16日は夜街中を練り歩く精霊流しの列に加わって御詠歌や念仏を唱えつつ馬淵川の一戸中橋袂の精霊流し場へ行き、川面を流れていく灯篭を見送って送り火の代わりとしていました。

商家ですし、さらに造り酒屋でしたからお盆はかき入れ時で大変忙しかったでしょうから、その名残だと思います。

一戸はこのお盆の時期と月末の御祭り※一戸まつり、が終わると夏が終わり、一気に秋の気配が漂ってきます。

日本全国、お盆はその地その家でそれこそ、千差万別の風習があると思います。ですが、小生の田舎のように「48灯篭」という西洋の教会の燭台のような「迎え火」を焚くところはまずないと思います。

前出の記事にも書きましたが、ひょっとしたら青森戸来町に伝わるキリスト/イスキリ様の墓に関係していたりしてね。

失われた10氏族の末裔が日本にまで到達していたとも言われますから。

一戸のある岩手県北から青森三八地域は近年、世界遺産推奨遺産にも選ばれた御所野縄文住居遺跡もあり、古代から交通の結節点としていろいろな文化が入ってきていてもおかしくはないでしょうしね。

 

拙宅は皆さまご存知の通り、湘南にございます。

ただ、首都圏神奈川県とはいえ、本来は農村部ですから、この辺りのお盆は旧盆です。

何故、拙宅だけが「新のお盆」なのかというと、元々、小生の曽祖父は川崎の市街地、正確に言えば宿場街で材木商を営んでいた商家に生まれ、その後横浜の野毛へ転居後、祖父の代に川崎へ戻り、以後父母は銀柳会で菓子屋を営んでいた祖父母の元で生活をしていました。そして、祖父が悪化した川崎喘息の療養目的で湘南に転居したのです。

いわば、生粋の浜っ子/川崎っ子、ですから流石に都市部で商家を営んでいれば実家は明治になって早くから新暦化して、お盆も新のお盆となったのだと思われます。その流れで拙宅も「新のお盆」。

ただ、お盆は新旧の二つのお盆が今では普通ですが、実は旧の旧盆は新暦に直すと8/31・9/1・9/2だそうですから、旧盆も実は「旧」盆ではないのですよね。月遅れ、と言うだけで。

なお東京都では7月の新のお盆を迎える文化が根づいていますね。
東京以外でも北海道・山形・福島・埼玉・千葉・神奈川・静岡・石川の一部地域では新暦のお盆、新のお盆で先祖供養を行うそうです。

拙宅の新のお盆は都市部のお盆の流れなのです。

そんなわけで基本、小生の執り行っているお盆の手順も祖父の行っていた手順↓がメインになります。

①盆提灯を吊るす。仏壇はあらかじめ※普段から、お掃除しておく。

  ご位牌は魂が込められていますから、乾いた布で優しくお掃除。

  ※識子さまによりますと、ご位牌とお墓が唯一故人方さまと道が 

   通じているもの/場所だそうですから。ですから、何か困ったこ

   とがあっても、仏壇のご位牌から仏さま方が直接お助けいただ

   ける大変重要で貴重なツールだそうですから。

  お供え物は故人の好物(和菓子など)を用意して仏壇へお供えし

  ておく。真菰(まこも)/苧殻(おがら)もこの時に購入しておく。

②迎え火を焚く7/13の昼間、茄子で牛、キュウリで馬を作る。

  ※昔は苧殻で足を作ってましたが太すぎて貫通してしまったり、穴

   が痛んで腐ってしまったりして困っていましたが、爪楊枝を使用

   することを学びまして今は竹串を短く切って足にしております。

③牛馬の餌?としてこれも茄子/キュウリをサイコロ状に切って蓮

  の葉に広げて乗せる。お塩皿と水受けも忘れずに!。

  ※昔は近くの蓮池で本物をいただいてきましたが、今はスーパー

   で売っているビニール製です。

④②+③を真菰を敷いたお盆に乗せる。

⑤買ってきた苧殻(おがら)を適当な大きさに折る。

⑥夕方近くになったら、準備した苧殻を玄関の引き戸の外のタタキ

  に直接盛り、丸めた新聞紙を苧殻の下に差し込んで点火。

  ※一昨年、焙烙を使用することを覚えまして、直置きはパス。

⑦玄関戸は開けておいて、苧殻から立ち上がった煙が玄関から屋

  内に入ったことを確認して消火。

  ※不思議と即、スゥ~と入っていきます。帰りはなかなか・・・。

⑧④をおぼんごと、仏壇の前に運びあらかじめ設えてあった小机に

  置く。

これが基本的な拙宅の「迎え火」です。16日の「送り火」はコレの逆順をたどります。

ウチの故人方は皆せっかちでして、ある時、小生の帰りが遅れて薄暗くなってしまってから帰宅すると、玄関口前に見覚えのあるお袋さまの背中が見えましてね。

「アチャー、もう帰って待ってる・・・」みたいなことがありまして以来、「迎え火」は15時過ぎ頃、お日様が傾き始めた頃焚くようにしています。

逆に「送り火」は、昔から「地獄のカマの蓋」が閉まっちゃう前に帰してやんないと~、なんてよく言ってましたから、早い時はお昼過ぎに焚いちゃいます。なので、帰りも馬の方が良いのでは、とも思いますがね。

7/13・14・15は故人方の好物の天ぷら/お寿司などでご飯をお供えしておもてなし、します。外食の時は「来て~、ごはん一緒に食べよ~」と故人方に一声かけてお店に入るようにしています。

今日は花巻のヨッちゃんが大好きだった丸亀製麺のカレーうどんを食しました。一緒に天ぷらも購入、帰宅後速攻で冷凍。カラーラで再加熱してサクサクにして明日の夕飯お供えにします。

識子さまの本を読むようになりまして、基本形は変わりませんが、叔父の葬式時に使用した仏段で盆棚を設えて小机の代わりにして、金襴布を敷き、紙製の仏花とこれも葬式の時の備品、大蝋燭を飾って仏壇回りを少しゴージャスにしたりしています。※仏花は生花の方が良いんでしょうがこの時期ですと痛みますし、お水替えをしていても臭ったりしますので。

お盆期間中は仏壇からご位牌を出して、盆棚へ横に並べて広げて置くようにもしました。何せご位牌6+2つですから窮屈でしょうし。

※繰り出し位牌は使いません。命日を忘れて表出しできなかったりしそうなので。

お迎えが終わった後は「般若心経」を唱えるようにもしています。

毎朝のお水上げも、お茶上げに変わります。

お線香とお勤めは毎朝夕簡単ですけど行っていますし、お一日と15日の賄(お勤め/お供え)もしていますから、苦にはなりませんです。

普段は仏壇の中と会話している意識が、拙宅の中に故人方が居られる意識に自然と変わりますので、不思議なものですね。

後は独り身の勤め人ですので、できることは限られておりますから、故人方もそこらへんは心得たものでしょうから、それぞれにお出かけになられて、久々の娑婆を楽しまれておられると勝手に解釈いたしております。

特に今年は伯父宅が跡形もなく消滅しておりますので、変化にはちょっと驚かれておられると。

爺さまが生きて居られたころは、新でも旧でも「迎え火」を焚かれておられるお宅が結構ありましたが、最近はとんと見かけません。

「送り火」の後のお精霊さま流し※茄子の牛とキュウリの馬、も、まだ草と土の土手だった引地川の太平橋際へ爺様と出向いて、海へ流れつくように紙皿に乗せて川面に流しておりましたが、今は環境保全で河流し禁止ですし、護岸整備で土手はPCで固められ、川面にもおいそれと降りられなくなりました。

ですので、お精霊さまのその後の処分に困惑してしまいます。

こんな感じで、拙宅の「新のお盆」は進んでいきますです。

②へ続く・・・。一戸のお盆は。