昨日、少し帰りが遅れましたが、日没前?には「送り火」を焚いてあげることができました~。※画像はお借りしたものです。
「送り火」とは基本、「迎え火」とは逆の手順ですから難しい事は無いのですが、小生のオリジナルかもしれませんが、牛馬用のお水受けの水を取り替えておきます。
般若心経を盆棚の位牌の前でお唱えした後、大蝋燭を灯して※実は先に点けるのを忘れました、準備が整いましたら、多分とっくの昔に用意万端で旅姿で待っていたであろう仏様方に「点けますよ~」と一声かけます。
それと、今年初めてやったんですが、お盆で帰れない/帰られない/帰るところが無い/そもそもお盆をしない、あちらの世でのうちの仏様方の「お友達の仏様方」のために「お土産」を持って行ってもらいました。
量はお盆の帰省に買って帰る「お土産」とは比べ物にならないくらい少量ですが、昔であれば、お精霊さまの河流しのときに一緒に流して上げられれば良いのですが、※ビニール包装は破いてです、ビニール包装のまま開封していないとあちらの世にお帰りになった時に折角のお土産を開封することができませんから、あらかじめ開封して半紙に包んで差し上げました、現代では河流しはご法度ですから、送り火を終えた後で庭を少し掘ってお精霊さま※牛馬/飼い葉、「おみやげ」を入れて浅く土かけをして埋めました。
たしか「おみやげ」のお話と共に、識子さまの著作に書かれていたからです。
今までは、お精霊さまの牛馬/飼い葉はゴミとして捨ててしまっていましたから、なんとなく後ろめたさがありましたのでちょっとホッとしています。
それと毎年感じるのですが、なんだかんだ言っても、仏様方、あちらの世にお帰りになるときは二の足を踏まれるようで、「送り火」の苧殻から立ち上がった煙が「迎え火」のようにスッと動かず、玄関の中から外へと向かわず玄関の中へ入ってしまうのです。
二三回繰り返したところで苧殻が燃え尽きそうになって、慌てて、「んモ~・・・」となって焙烙をさらに外側へ移動するとやっと煙が天空へと立ち上っていくのです。
煙に「来年はここへ帰って来れないかもよ~」「新のお盆は今年が最後、旧盆になるかもよ~」「田舎の実家を知ってる親父かヨッちゃん※花巻のおばちゃん&キミさん※岩手県初の女医さん、ヨッちゃんのお母さん、についてきてね~」と一声添えて見送りました。
「はー、帰った~」とホッとしつつ、焙烙に残った残り火と苧殻の燃えカスを見ると、何となく、ちょっとさびしい気持ちになるのは不思議なものです。
今年は「迎え火」「送り火」ともちょうど雨が上がって、仏様方も濡れずに行き来なさることが出来て良かったです。
「送り火」を焚いて、「土埋め」もして小一時間、さっさとと言うと仏様方には申し訳ないのですが、盆棚やお飾り/盆提灯も解体撤去、位牌もお仏壇に速攻で戻して、平時と同じ状態に戻しました。
親父/お袋さま、ヨッちゃん&キミさんのご位牌を戻すときは、一か月後にまたお会いしましょう~、でも今年は大丈夫かなぁ」と声掛けするのを忘れずに・・・。