拙宅は皆さまご存知の通り、湘南にございます。
ただ、首都圏神奈川県とはいえ、本来は農村部ですから、この辺りのお盆は旧盆です。
何故、拙宅だけが「新のお盆」なのかというと、元々、小生の曽祖父は川崎の市街地、正確に言えば宿場街で材木商を営んでいた商家に生まれ、その後横浜の野毛へ転居後、祖父の代に川崎へ戻り、以後父母は銀柳会で菓子屋を営んでいた祖父母の元で生活をしていました。そして、祖父が悪化した川崎喘息の療養目的で湘南に転居したのです。
いわば、生粋の浜っ子/川崎っ子、ですから流石に都市部で商家を営んでいれば実家は明治になって早くから新暦化して、お盆も新のお盆となったのだと思われます。その流れで拙宅も「新のお盆」。
ただ、お盆は新旧の二つのお盆が今では普通ですが、実は旧の旧盆は新暦に直すと8/31・9/1・9/2だそうですから、旧盆も実は「旧」盆ではないのですよね。月遅れ、と言うだけで。
なお東京都では7月の新のお盆を迎える文化が根づいていますね。
東京以外でも北海道・山形・福島・埼玉・千葉・神奈川・静岡・石川の一部地域では新暦のお盆、新のお盆で先祖供養を行うそうです。
拙宅の新のお盆は都市部のお盆の流れなのです。
そんなわけで基本、小生の執り行っているお盆の手順も祖父の行っていた手順↓がメインになります。
①盆提灯を吊るす。仏壇はあらかじめ※普段から、お掃除しておく。
ご位牌は魂が込められていますから、乾いた布で優しくお掃除。
※識子さまによりますと、ご位牌とお墓が唯一故人方さまと道が
通じているもの/場所だそうですから。ですから、何か困ったこ
とがあっても、仏壇のご位牌から仏さま方が直接お助けいただ
ける大変重要で貴重なツールだそうですから。
お供え物は故人の好物(和菓子など)を用意して仏壇へお供えし
ておく。真菰(まこも)/苧殻(おがら)もこの時に購入しておく。
②迎え火を焚く7/13の昼間、茄子で牛、キュウリで馬を作る。
※昔は苧殻で足を作ってましたが太すぎて貫通してしまったり、穴
が痛んで腐ってしまったりして困っていましたが、爪楊枝を使用
することを学びまして今は竹串を短く切って足にしております。
③牛馬の餌?としてこれも茄子/キュウリをサイコロ状に切って蓮
の葉に広げて乗せる。お塩皿と水受けも忘れずに!。
※昔は近くの蓮池で本物をいただいてきましたが、今はスーパー
で売っているビニール製です。
④②+③を真菰を敷いたお盆に乗せる。
⑤買ってきた苧殻(おがら)を適当な大きさに折る。
⑥夕方近くになったら、準備した苧殻を玄関の引き戸の外のタタキ
に直接盛り、丸めた新聞紙を苧殻の下に差し込んで点火。
※一昨年、焙烙を使用することを覚えまして、直置きはパス。
⑦玄関戸は開けておいて、苧殻から立ち上がった煙が玄関から屋
内に入ったことを確認して消火。
※不思議と即、スゥ~と入っていきます。帰りはなかなか・・・。
⑧④をおぼんごと、仏壇の前に運びあらかじめ設えてあった小机に
置く。
これが基本的な拙宅の「迎え火」です。16日の「送り火」はコレの逆順をたどります。
ウチの故人方は皆せっかちでして、ある時、小生の帰りが遅れて薄暗くなってしまってから帰宅すると、玄関口前に見覚えのあるお袋さまの背中が見えましてね。
「アチャー、もう帰って待ってる・・・」みたいなことがありまして以来、「迎え火」は15時過ぎ頃、お日様が傾き始めた頃焚くようにしています。
逆に「送り火」は、昔から「地獄のカマの蓋」が閉まっちゃう前に帰してやんないと~、なんてよく言ってましたから、早い時はお昼過ぎに焚いちゃいます。なので、帰りも馬の方が良いのでは、とも思いますがね。
7/13・14・15は故人方の好物の天ぷら/お寿司などでご飯をお供えしておもてなし、します。外食の時は「来て~、ごはん一緒に食べよ~」と故人方に一声かけてお店に入るようにしています。
今日は花巻のヨッちゃんが大好きだった丸亀製麺のカレーうどんを食しました。一緒に天ぷらも購入、帰宅後速攻で冷凍。カラーラで再加熱してサクサクにして明日の夕飯お供えにします。
識子さまの本を読むようになりまして、基本形は変わりませんが、叔父の葬式時に使用した仏段で盆棚を設えて小机の代わりにして、金襴布を敷き、紙製の仏花とこれも葬式の時の備品、大蝋燭を飾って仏壇回りを少しゴージャスにしたりしています。※仏花は生花の方が良いんでしょうがこの時期ですと痛みますし、お水替えをしていても臭ったりしますので。
お盆期間中は仏壇からご位牌を出して、盆棚へ横に並べて広げて置くようにもしました。何せご位牌6+2つですから窮屈でしょうし。
※繰り出し位牌は使いません。命日を忘れて表出しできなかったりしそうなので。
お迎えが終わった後は「般若心経」を唱えるようにもしています。
毎朝のお水上げも、お茶上げに変わります。
お線香とお勤めは毎朝夕簡単ですけど行っていますし、お一日と15日の賄(お勤め/お供え)もしていますから、苦にはなりませんです。
普段は仏壇の中と会話している意識が、拙宅の中に故人方が居られる意識に自然と変わりますので、不思議なものですね。
後は独り身の勤め人ですので、できることは限られておりますから、故人方もそこらへんは心得たものでしょうから、それぞれにお出かけになられて、久々の娑婆を楽しまれておられると勝手に解釈いたしております。
特に今年は伯父宅が跡形もなく消滅しておりますので、変化にはちょっと驚かれておられると。
爺さまが生きて居られたころは、新でも旧でも「迎え火」を焚かれておられるお宅が結構ありましたが、最近はとんと見かけません。
「送り火」の後のお精霊さま流し※茄子の牛とキュウリの馬、も、まだ草と土の土手だった引地川の太平橋際へ爺様と出向いて、海へ流れつくように紙皿に乗せて川面に流しておりましたが、今は環境保全で河流し禁止ですし、護岸整備で土手はPCで固められ、川面にもおいそれと降りられなくなりました。
ですので、お精霊さまのその後の処分に困惑してしまいます。
こんな感じで、拙宅の「新のお盆」は進んでいきますです。
②へ続く・・・。一戸のお盆は。