小生、子供時分より鎌倉の八幡さまには、随分と親しませていただいておりました!。
というのも、親父が早逝してしまった小生は、自営業を営んでいた母親と別居して、祖父母の家で育てられたんです。
で、祖父母は昔、川崎で駄菓子屋というか食品店というか、こちらも自営業を営んでおりまして、その関係で家に「神棚」をまつっておりましてね。
その関係で、お札を毎年、八幡さまへ頂戴に行くときにくっついて行ってました。
なので、氏子でなければ知らないような、八幡さまの社務所やお札の種類、祀られていた神様のこと、神棚の祀り方まで、小学生のころから、ある程度はもう知識として頭に入っておりました。
祖父が亡くなり、祖母もいなくなり、母親もあの世に旅立って、さあ、家に残された「神棚」の神様の面倒を見るのは小生しかおりません。
見よう見まねで覚えた、神様のお祀りの仕方でやっておりましたが、そのうち、識子さんの本に出合いまして、「ああ、これはこういう事だったんだ」「え!、こうすると神様に失礼だったとは・・・」などと、直感で分かるようになって、いつの間にか、祖父の時代にはお伊勢さまと八幡さまの二柱のお札だけだった神棚は、今では増床した元神棚に、出雲の神様用に新設した神棚となんちゃって神棚として使用している神棚もどきの三棚に増え、御祀りさせていただいております神様もたくさんおられて、とても賑やかになっております。
一時期、洗濯場が無くなって途絶えておりました、荒神さまの荒神棚も台所へ復活して、お祀りいたしております。
これだけ神さまも増えますと、毎日の「お賄」も大変です。加えて、仏さまも居られますから、毎朝のご挨拶とお水上げだけで30分はかかります。
でも、歳を重ねるうちに随分と神仏さま方には助けていただいたり、戒めていただいたりしておりますので、感謝の気持ちを忘れたことはなく、一人住まいをもう何十年と重ねていても、寂しく思ったことは一度もございませんです。
そうそう、一昨日まではもう一柱、神さまがお見えになられておりました。歳神さまです。
15日の未明にお帰りになられましたようで、ちょっと寂しくなりまして。
2020/01/15撮影 鎌倉 鶴ヶ岡八幡宮 左義長神事
檀家様や信者様方からお納めいただいたお正月飾り、を綺麗に美しく整然と組み上げて作られた、左義長のとんど(歳徳)が二つ。
テントは明け方まで雨が降ってましたので神官様方用のもの。三宝に乗せられたミカンは点火後「なおらい」で配られるものです。雨に濡れてしまうと燃え上がりにくくなるようで、とんどには油が施されているようで少し香りが漂っておりました。
神官の祝詞奏上の後、二つのとんどに点火されます。
最初のうちは二本共々、同じような火の周りでしたのですが・・・。
向かって左側のとんどの方が燃えが良くて。
阿含宗の星まつりでは、このお焚き上げの炎の中に、仏様のお姿が現れたりするのですがね。
とんどの中は空洞ではなく、しっかりとお納めされましたお飾りやお札、松などが収められておりました。それらが燃え落ちますと、とんどもだんだんとへこんで高さが無くなっていきます。ちなみに最初は5~6m弱の高さがあったはず。この辺りで、「なおらい」のミカンが参拝者へ配られ始めます。
大分、クシャッとなりました。ね、左側の方が燃えが良いでしょ。テントも撤収が始まります。
ほとんど、とんどの形が無くなってきますと、火かき棒で燃え残りを均しつつ、自然鎮火を待ちます。ここまでで1時間ちょっと。ちょうど近隣の小学校へ通学する生徒の通行が多くなってきます。こういう、神事を身近に触れられる子供達はきっと、神さまがずっと見守り続けていただけるのでは。幸せですね!。
一年間、お家や家族の皆様、会社やお社や神棚を邪鬼など、悪いものから守り、幸せを招き入れていただいた、しめ縄やお飾り、お札やお守りさん方が一年間の効力を使い切って、お焚き上げなされる。
それに感謝の気持ちをささげて見送る神事が左義長だとしたら、これも日本人ならではの「心」のこもった行事なのでしょうね。
左義長神事が行われたとは言え、15日は平日、しかもまだ8時過ぎ。あれだけ三が日は初詣の皆様方でにぎわった境内も、人っ子一人おらず、上がった雨に濡れて、しっとりとした雰囲気が漂っていました。
神奈川県といいますと、大都会の中核をなす都市圏ですが、意外とこういう昔ながらの神事が多く残されておりまして、特に「大磯の左義長」は知る人ぞ知る、壮大などんと焼きです。ある意味、全国各地で行われる「火祭り」にも匹敵するくらい、荘重で大規模なものだそうです。
お正月もこの左義長神事をもって、お終い。さて、次は節分。
今年も読者の皆様方にとりまして、幸多き良い年でありますように!!。