高見画伯は晩年、意を同じくするエコール・ド・エヌの表現者の方々、例えば主催者たる沼宮内出身の画家・齋藤忠誠さんらと交流し「岩手町国際石彫シンポジウム」開催を通じて、石神の丘プロジェクトの助言者として活動しています。

高見画伯は多くの作品を残しておられますが、ことエコール・ド・エヌ時代に創作された石彫作品は氏が亡くなられたあと、親族の方々から石神の丘美術館へと寄贈され、現在も同所で保管されています。

ただ、通常は画伯の作品は石神の丘美術館で常設展示されることは無く、実際に目にすることが出来るのは、石彫公園などに野外展示されている「岩手町国際石彫シンポジウム」のために創作された作品や、岩手町の依頼によってオブジェとして制作された大きな作品のみです。

もちろん、岩手町以外にも生活の場であった一戸の街場や周辺市町村にも、依頼を受けて氏が制作されて納められた作品は存在しているのですが、その多くは正確には把握されておりません。

また画伯の個人的な付き合いの中で、御礼や親交の証として自ら鑿(のみ)を振るい制作・寄贈された作品においては、その存在さえ忘れ去られようとしています。

たまたま数ヶ月前、石神の丘美術館で高見画伯の死後引き取られた作品の一つを、目にする機会がありました。

#20240306 誕生日に良いことがあると嬉しい気分sculptorTAKAMIの作品に会えた

その時に目にした作品がコレです↓。

 

題名不詳とあるのは、画伯の没後生家に眠っていた作品だからでしょう。

画伯の石彫作品は、小生のような凡人には何をモチーフにして創造された作品であるのか、はっきり言って不可解なものが多く、ただ前衛的作風であるとだけ表現するしかありません。

ところが、この作品をたまたま目にしていたおかげで、ひょんなところで高見画伯の石彫作品と出会うことが出来ました。

小船さんに連れられてお伺いさせていただいた浄法寺の古民家さんの庭先に、その作品はちょこんと鎮座していたのです。

形状は似て非なる形をしていますが、一目見て泰蔵画伯の作品とピンときました。

ご主人に確認すると、正しく高見画伯の作品で元は別のお宅にあったものを、縁あって譲り受けられたとのことでした。

そしてもう一つ、小生にとってとても嬉しい発見をこの作品はさせてくれました !!

泰蔵先生は当時一戸の公の機関とは不仲で、町自体に余り良い印象を抱いていなかったと言われていて、アトリエも構えていた居住地なのに今に伝わっている作品はあまりないのです。

ですが、実際は一戸の風景や人々に対しての思い入れは深く、親しい方への御礼として渡されていた、手づから書いた墨絵の色紙に登場する風景は、そのほとんどがご自宅から目と鼻の先にある馬淵川河畔の風景であったりします。

今でもご自宅にはその墨絵のストックが、山のように保管されているほどです。

でも、それらは心象風景であり、石彫作品に一戸ゆかりのものが反映されているかは、はっきり言って小生の力量では判別不能でした。

ところがこの↑作品の素材には、あの地球上で英国と一戸の二箇所しか産出しない、ケンタレン岩と思しき石が使用されていることに気づきました。

小生は石の専門家ではないのではっきりと断言は出来ませんが、ケンタレン岩特有の正中のお日様の光を浴びてキラキラと美しく輝く、磨き込まれた石肌の特徴は正しく一戸特産唯一無二のケンタレン岩であり、ケンタレン岩が商業化出来なかった最大の欠点である、クラックもあえてそれを指し示すように、石肌に残されているのです。

この時は磁石を持ち合わせておらなんだので、磁性があるかテストはしていないのですが、まず十中八九ケンタレン岩であろう事は間違いないものと。

以前から、画伯が一戸に生まれ育ち生業を営みアトリエを定めていた地だけに産出する、稀少で美しくそれでいて特異 ! な性質を持つケンタレン岩を使って、作品を何故作らなかったのだろうと疑問に思っていて、石彫時クラックの入りやすい欠点から素材としての使用を諦めたのかなぁ・・・、と勝手に納得していたのですが。

この作品にあえて、もの凄く嬉しかったです !!

ケンタレン岩製だからこそ、お日様の光を浴びればその輝きで人目を引く存在感を存分に主張しているわけで、ふっと小生の視界に入ってきたわけです。

高見画伯ならそこまで計算してこの作品を創作したことはまず間違いなく、前の持ち主のお宅で果たしてどこに据えられていたかは分かりませんが、画伯自ら場所を見定めておそらく屋外の日当たりの良いところに置かれたであろう事は想像が付きます。

ああやっぱり画伯、一戸への思い入れは深かったんだなぁ・・・と確信出来ました !!

浄法寺の里山の奥にある、素敵な佇まいの大古民家さんのお庭に、ちょこんと置かれたこの作品。

なんとなく、これだけは古くからこの地に植えられて人々の生活を支えていた「栗」をイメージしつつ、そこに住む人々の穏やかな後ろ姿を投影して作られたのかなぁ・・・、と感じてしまいます。

そんなホッコリするような姿から、作品が回りの環境に喜んで、実に幸せそうに佇んでいるように見えてしまう小生でした。

土蔵の傍らには二戸のアチーストさんであられる、富田喜平次さんの作品もさりげなく置かれていました。

何をモチーフにしていたのか家主さんからお伺いしたのですが、余りにも画伯の作品のインパクトが大きすぎて、メモるの忘れました〜。