岩手町にある、石神の丘美術館開館の母体となった、岩手町の美術団体「エコール・ド・エヌ」が主催した「第一回岩手町国際石彫シンポジウム」開催以来、幾多の国内外の作家作品が岩手町へと集合して、以来岩手町は石彫アーチストの聖地となって今に続いています。
この「エコール・ド・エヌ」、1920年代パリで制作活動をしたアーティストたちの一群のことを指す「エコール・ド・パリ」にあやかった名称で、本家では特定の流派や様式、芸術運動を伴わない外国人芸術家たちのゆるやかなまとまりを指しており、 その多くはモンマルト国際石彫シンポジウムルもしくはモンパルナスに居住する東欧出身もしくはユダヤ系の作家たちの事をこう呼んでいたそうです。
パリをエヌ=ぬまくないのエヌ、に差し替えて「エコール・ド・エヌ」。
一戸向町出身の高見泰蔵画伯はこの活動に共鳴・賛同することにより、国際石彫シンポジウムにおいての指導者&助言者として、この石神の丘美術館の設立に深く関わる事になっていきます。
ご存知の通り、高見邸は酒屋のはす向かい、一戸郵便局真向かいに今でも豪奢な大店が現存しており、築80年ながら当時上方から呼び寄せた職人らによって、一流の材料と技術を駆使して建築された邸宅は、一戸の主要産業であった鉄瓶生産・製造・販売による大商いの隆盛時代を物語っている豪商家でもあります。
泰蔵画伯はこの高見家の当主である傍ら、作家活動に専念しがちで後に家業破綻の憂き目にも遭ってしまうのですが、一戸の当時の豪商家当主は豊かな財力を背景に本宮家当主の本龍氏しかり、多かれ少なかれアーチスト属性を包含している方々も多く、それが現代に受け継がれるアーチストタウン一戸の源になっていると言っても過言では無いと、小生は考えています。
岩手町の石神の丘美術館には、泰蔵画伯の親族さんから死後、画伯の作品が40作品あまり寄贈されて居られるそうで、それらは収蔵庫に大切に保管されつつ、時折展示される機会を得ているそうで、たまたま、昨日も一守書店主さんから情報を戴きまして、取り急ぎ拝見に行ってきました。
泰蔵画伯の作品は一点だけでしたが、すぐに画伯の作品と分かる作品です。
あまり美意識の高くない、どちらかというと凡人そのものの小生ですら、一戸で目にしてきた泰蔵画伯の作品とはちょっと異色の造形にビックリしてしまいました。
寄贈時に画伯はすでに亡くなられていたため、この作品に関わる事象は全く不明とのことですが、上下二種類の石から彫像されていると思いきや、これは一体の石から掘り出されているそうで、どうすれば同じ石をこのように差別化できるのか、その技術に感嘆してしまいました。
こうした泰蔵画伯の作品が他にも数十あると言うことで、機会があれば拝見したいと思ってしまいました。
美術館の学芸員さんに常設の作品がありますよ、と教えて貰いましたのでその脚で見に行ってみました。
美術館から直接、いわて沼宮内駅へと通じる北上川にかかる、あいたい橋です。
この橋の四隅の親柱が泰蔵画伯の作品であるとのことです。
どちらかというと、一戸の街中や馬仙峡にある作品に通じる造形ですから、美術館で見たあの石魂体とはやはり違う見慣れた印象を受けます。
美術館の収蔵品は高見邸にあった作品が主だった物だそうですから、端から屋外展示を前提として制作された彫刻とは一線を画していた作品なのかも知れません。
画伯は石彫の他にも、気の置けない近所の人々に送った、一戸の馬淵川沿いをモチーフにした色紙墨絵や様々な号数の油絵、依頼を受けて制作した人物を写したブロンズ像も制作しています。
岩手町以外でも公に設置されている作品は、場所が判明しているものが数点現存していますが、私的に譲渡された物や管理のなされていない物は、はっきり言って現時点ではデータベース化されていません。
酒屋のお得意さんだったと言う縁だけで、小生がこのようなことを言うのもおこがましいのですが、もし泰蔵画伯の作品の何かをご存じの方は、一守書店主さんか拙ブログまで、ご一報いただけると有り難く思います。
併せて、今現存している泰蔵画伯の作品を記録の意味も含め、改めて紹介していきたいとも思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。
あ、一守書店さんにも店主さん自ら引き上げてきた、泰蔵画伯の作品がありますよ !!
↓ 明後日9日から開催される、石神の丘美術館の企画展です。
普段公開されない収蔵品も展示されるようなので、是非この機会にご覧になってくださいませ。小生も拝見に行くつもりです〜。