何かの書籍かなにか、忘れましたが、こんな言葉が頭に残っています。
「今日生きている、生きるということは、昨日亡くなった人が、どうしても生きたかった明日を私たちは生きているということを認識しなければならない・・・・。」
昨日だけでなく、昨日の阪神淡路大震災で亡くなった6000人以上の方々、事件、事故、病気、世界をみれば、紛争、戦争、災害など亡くなった多くの魂が今日という日を生きたかった日を、今、生きているということ。
ピーコさんだったかな。本でみたのですが、病床に同じ病気で入院していた人が、亡くなったんだそうです。いつも話ししていただけにとても悲しい出来事だったということ。
同じ病気なのに、なぜ,今、私は生きているのか、なぜあの人は天国へいったのか、私でもよかったはずなのにと・・・・。ずっと考えてこられ、ある結論にたどりつきました。
人の命には、役割があって、今、私が生きているということは、天が私にやるべきことがあるから、命を授けてくださったのだわ。
という結論にたどりついたんですね。
それは、その場で同じ病気になって、その悲しい出来事に立ち会ったからこそ、気がつくことができた、究極の気づき。
命がなんらかの原因で尽きることは、悲しい出来事の最たるもの。
しかし、その魂というか、思いというか、引き継がれていけば、その悲しい出来事を今、生きている私たちが活かすことによって、その思いは生き続けることができます。
しっかりと真剣に、生かされていることの「意味」に気づき、自分の為すべきことを果たして命を使い切りたいと思う昨日の1月17日でした。