平安時代の男性の服装を書く | 亀の勉強部屋

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子どもの頃病気で右耳が聞こえなくなりました。片耳だけで頑張って生きてきました。

前回は12単衣を書いたので今回は男性の服装を書く。

 束帯(男性の正装)

平安時代以降の朝服の名。天皇以下文武百官が朝廷の公事に着用する正服。

 

 冠 

束帯・衣冠の時に用いたかぶりもの。礼服に用いるものはカンと音読し、(べん)冠・(らい)冠・()(らい)冠などがあり、金属製。平安時代の束帯のものは令制の頭巾(ときん)の形式化で、黒の羅で作り漆をひいたもので、額・磯・(かんざし)巾子(こじ)(えい)などの部分名がある。形状にも、(あつ)(びたい)薄額(うすびたい)(すき)(びたい)・半透額などの種類がある。

 

 

 束帯や衣冠などの時に着る盤領(まるえり)の上衣。文官用を(ほう)(えき)の袍、武官や少年用を(けつ)(てき)の袍といい、位階によって服色を異にするので位袍ともいう。

 

 

 (字音コツが「骨」に通うのを忌み、長さがほぼ一尺であることからシャクと呼んだという)束帯着用の際右手に持って威儀を整えた板片。唐制の手板(しゆはん)にならう。もとは裏に紙片を貼り、備忘のため儀式次第などを書き記した。今日では衣冠・狩衣・浄衣などにも用いる。令制では五位以上は牙笏と規定されたが、延喜式では白木が許容され、以後礼服以外はすべて一位・柊木・桜・榊・杉などの木製となった。長さ1尺3~5寸、幅上2寸2~3分、下1寸5分、厚さ2~3分。さく。

 

 飾り太刀

 平安時代、節会(せちえ)御禊(ごけい)・行幸などに、兵仗宣下の許可を得た公卿が束帯につける儀仗用の太刀。鮫塚に、鞘は紫壇・(じん)などの螺鈿(らでん)で、玉石をちりばめた金銀の長飾(ながかざり)を特色とした。

 

 下襲

 束帯の時、半臂(はんぴ)・の下に着た衣。背後の(きよ)を長くして(ほう)の下から曳く。天皇の料は後世までそのままだが(続きの下襲)、臣下は鎌倉初期から裾を別にした((べつ)(きよ)の下襲)。室町末期から襟を付けた大帷(おおかたびら)が出来、裾をこれに添え、その上に袍を着る風を乗じた。地紋と色目は公卿と殿(てん)上人(じょうびと)とにより、また夏と冬とにより区別があった。

 

 平緒

 束帯を着用するときの帯剣の緒で、腰に巻き端を正面に垂らして飾りとした。 組紐の唐組と織帯である綺のどし織りがあり、五位以上は唐組を用いた。

 

 直衣(男性の日常着)

 (気分を直す衣、平常服の意)「直衣の(ほう)」の略。平安時代以来、天子・摂家以下公卿の平常服。大臣家の(きん)(だち)と三位いじょうは勅許を得れば直衣のままで参内できた。形状は衣冠の袍と全く同様であるが、衣冠と違って位袍ではないため当色(とうじき)以外の色を用いた。

 

 烏帽子

烏の羽のように黒く塗った帽子の意)元服した男子が略装につける袋形のかぶりもの。奈良時代以来、結髪の一般化につれて広く庶民の間にも用いられた。貴族の間では平常に用い、階級・年齢などによって形と塗り様とを異にした。もと羅や紗で作ったが、後世は紙で作り、漆で塗り固めた。立烏帽子・風折烏帽子・侍烏帽子・引立烏帽子・(もみ)烏帽子などがある。

 

 雑袍 上着。束帯(正装)と同じ形だが、色や模様は自由。

 

 檜扇 檜の薄板を重ね、下端の穴に糸を通して要とし、上端を白や紅の糸で綴り重ねたもの。衣冠または直衣の時、(しゃく)に変えて用いるもので、板の数は、近世は25枚または28枚。

 

 指貫

 (ほう)()・衣冠または直衣狩衣の時に着用する袴。平絹、綾、固織物、浮織物などで八幅に仕立て、裾に紐を通してくくるもの。

 

これらの資料は20年以上前に買った電子辞書から拾ったもの。

今の電子辞書は挿絵や写真が入っているが、当時の辞書はそれがなかったので、すべて文書で表現するしかなかった。そのため、非常に親切な文書になっている。

今では、挿絵などが入るためこんな長い文書にはなっていないだろ。

それにしてもずいぶん多くの文書がはいっているので助かる。