日航123便について 歴史とは何か | 西尾浩史のブログ

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元kamekichihiroこと西尾浩史と申します
先祖の産土から採ったペンネームです
簡単な経歴を申し上げておきます
中部地方某県生まれ
学歴は以下の通りです
国立大学附属小学校、同中学校卒
地元高校進学後、国立大学卒業
経済学学士、土壌医
元金融機関職員です

今日は立春ですが、やはりと申しますか、一年で一番寒い朝を迎えました

ここずっと愛犬と家にこもっていましたが、一部屋だけエアコンを入れて温まっていました

ここしばらく私が一番興味を持っていた例の日航123便について調べていたのですが、大体の結論が出ました

おおよそ噂されていたように、相模灘で竣工したばかりの護衛艦「まつゆき」から試験発射された誘導ミサイルが日航ジャンボ機の尾翼に間違って命中し、横田基地に緊急着陸しようとしたものの、なんらかの理由によって拒絶され、その後は百里基地から飛来したと思われるF4ファントム2機に導かれて上野村上空に至り、そこで何らかの理由により機体が前後に分かれて墜落したと言うことのようです

そして従来報道されていた時点よりもずっと早く自衛隊が現地入りしたものの、彼らが生き残った乗客に緊急救命措置を施そうとはせずにずっと何かを探そうとしていたというのも事実のようです

当時の総理大臣は中曽根康弘氏でしたがこうした自衛隊の一見不可思議な行動の指揮を執ったと言われています

また、御巣鷹山の事故現場で自衛隊の隊員同士で撃ち合いがあったとか、現地に赴いた自衛官がその後百人近くも自殺したとか言う話もあるようです

またこの福岡発の日航ジャンボ機123便の乗客に絡んで日本初のパソコンのOSの「トロン」の技術者が多く乗り込んでいたと言う話もあります

つまり当時「トロン」と争っていたマイクロソフト社が自社の「ウインドウズ」を世界標準にしようと企んだのだとか言う噂もありましたが、どうもそれと「まつゆき」のミサイル誤射とは結びつきにくい気もします

事故が事故だけに多くの尾ヒレが付く展開となりましたが、私には現場に報道されているよりずっと前に自衛隊が到着していたものの彼らが生き残った乗客の救命措置よりも何かを収集することを優先したと言う事実が引っ掛かっています

また私は多くの方々が結論付けられているように、海自の不始末を隠蔽しようとしたと言うだけの理由で中曽根元首相が多くの国民の命を見捨てたとは考えにくい気もしています

岸信介首相を始め、池田勇人首相、田中角栄首相、福田赳夫首相、大平正芳首相、宮澤喜一首相等戦後の戦争を経験された歴代の総理大臣は満州国での関東軍の麻薬栽培や中国人からの金やその他の財宝の略奪等を人間として真摯に反省しようとされていたと思いたいですし、当時ソ連と中国と言う独裁的な共産国と対峙していたと言う事実を考慮すれば米国にすがるしかなかった、対米依存的な国家運営しか選択肢がなかったと言える気がします

どんな人間でも人生の最期まで自分が関わって命を落とされたり、貧困に喘ぐことになった方がいたならば後悔の思いは消えないと思いますし、たとえ妖怪と揶揄された岸信介氏でも彼の満州国経営が類まれな成果を上げたことや、満鉄の技術者がその後の新幹線の礎を築いたことは素直に評価すべきものだと思えるのです

また日本人はとかく自国さえ平和ならばと考えがちで、他国の歴史上起こった大虐殺の事実を知らずに安易に自国の政治家を批判しがちかとも思います

本来歴史の評価はとても難しいはずです

果たして織田信長や豊臣秀吉や徳川家康を今の物差しで評価しても良いのでしょうか

私達が今現在ベストだと考えている原理原則は未来永劫唯一無二のものだと言えるのでしょうか

人は時代の制約を受けずにはいられないはずです

どんな賢人でもすべてを網羅できないのです

さて、私の愛読書のE・H・カーの「歴史とは何か」にこうありますのでご紹介させて頂きます

 

歴史というものは、人間が時の流れを自然的過程~四季の循環とか人間の一生とか~としてでなく、それに人間が巻き込まれ、また、人間が意識的に影響を与え得るような、そういう特殊的事件の連鎖として考え始める時に始まります

歴史とは、「意識の目覚めによって生じた自然との断絶である」とブルクハルトは申しました

歴史とは、人間がその理性を働かせて、環境を理解しようとし、環境に働きかけようとした長い間の奮闘のことです

以下省略

 

過去の歴史上の人物を今現在の尺度で安易に批判 するのは極めて不遜な行いです

未来永劫生き残り続ける原理原則などありえないのではでないでしょうか

 

最後になりますが、改めまして御巣鷹山山中で命を落とされた方々のご冥福をお祈りします