少し難しい話になってしまいますが、人間には「こう見られたい」と言う自分と「こう見られてしまっているだろう」と言う自分があるように思います
ただ、人は必ずしも自分が思い描くような姿になれるとは限りません
人の生涯には必ず努力の及ばない要素が加わってくるものです
ここに一人の独身の40代半ばの女性がいるとします
そして、この女性が住んでいる小さな家の前に、そこそこの広さの庭付きの一軒家がありそこに男の子三人がいる40代の男性サラリーマンの家族が住んでいるとします
この独身女性から見える向かいの「ファミリー」と、向かいの家族の母親から見えるこの「独居女性」には明らかな「隔たり」があるでしょう
言い方は悪いですが「格差」とも言えるのかも知れません
もしかしたら、この独身女性は毎日朝から聞こえる向かいの家庭の賑やかな様子に侘しさを感じているかも知れませんし、ある種の「嫉妬」を感じているのかも知れません
逆に、向かいの家庭の主婦はこの独身女性の事には全く興味がなく下手をすると視野にすら入って来ないのかもしれませんし、同性として「憐れみ」を感じるのかも知れません
人は個々の事情で現在の姿になっているのでしょうが、姿は他人に様々な感情を呼び起こします
見られるだけで、何かを感じさせてしまう
ただ、そこまで責任を持つことはないはずだ
今更この歳になってどうなるものではないのですが、そんな事に初めて気がついたのです
この子は狼の子供だそうです
私の愛犬にそっくりで驚きました