仮 | kame3ブログ~何時からブログで無くなったか

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最近自分の方向性が分からなくなってきた

有馬記念

 

年末に行われるG1レースであり、出走するウマ娘を一般人によるファン投票によって選出するその年の総決算と言われる大レース。その歴史には数多の伝説、感動、ドラマがあり、有馬記念を現役最後のレースとして選ぶウマ娘も少なくない。

 

だが、レースと言うのは筋書きのあるドラマでも、観客の人気によって順位が決まる見せ物でも無い。出走した全てのウマ娘が全人類、全ウマ娘、何より自身と共に歩んできたトレーナーに自らが最強で最速で最高のウマ娘である事を証明するべく、己の全てを捧げる大舞台である。

 

そしてその頂点の一つとされる有馬記念。人々がレース前に想像する最高のドラマとは1番人気に選ばれたウマ娘が1着でゴールし、我々が選んだウマ娘こそが最強であることが証明されることかもしれない。もしくはそのライバルと言われたウマ娘とゴール目前に大接戦、僅差での決着。長らく栄光から遠のいていたウマ娘が有馬記念で復活も捨てがたいものだ。

 

…では栄冠も、人気も無いウマ娘が有馬記念を制する事はあり得ない事なのだろうか。有馬記念は最も強く、最も早く、最もドラマ性のあるウマ娘が勝利して人々を歓喜感動させるための舞台装置であり、あり得ないは起こりえない。このレースに出れただけでも凄い、勝てなくて仕方ない、上位人気のウマ娘にトラブルでもない限り勝てなくて当たり前。

 

そんな人々の常識を、たった一度のレースで覆したウマ娘がいる。

 

 

『ダイユウサク』

 

 

そのウマ娘は全てにおいて異端。15人中14番人気、1番人気は圧倒的強者のメジロマックイーン、それまでの実績はGⅢ京都金杯、オグリ世代のウマ娘で殆ど一線を退いていたにも関わらず、最終直線で全てを抜き去り1着でゴール。更に従来のレコードタイムを大幅に更新した事でダイユウサクは記憶にも、記録にも残る名ウマ娘となったのだが・・・


何故彼女が勝利したのか、理由をご存じだろうか?

 

ダイユウサク本人とトレーナーへのインタビューでは『自分史上最高のコンディションで有馬記念に挑むことが出来たから』と語っているが、本当にそれだけが勝因だろうか。

 

何故レコード記録を出せた?何故世間はレース前の地点で彼女のダイユウサクに気付けなかった?何故短距離からマイルを得意としたウマ娘にも関わらず、同じ月に行われていたスプリンターズステークスを選ばず有馬記念を選んだ?何故人気投票では圏外だったにも関わらず、ダイユウサクは出走する権利を掴み取れた?何故彼女の同期だったオグリ世代のウマ娘たちが当日の観客席で目撃された?

 

他にも尽きない様々な疑問を紐解いていった時、衝撃の事実が明らかになる!

 

 

 

「なんですか、この胡散臭い都市伝説みたいな書き出しは」





なんか何を投稿しようか迷った結果、懲りずにウマ娘ダイユウサクの話を思いついたので書いてみました。


内容としてはウマ娘シンデレラグレイに登場する記者の藤井が、ダイユウサクに関する取材を色んなウマ娘にしていくうちに1991年有馬記念(オリジナル仕様)の裏側を知ってしまう話です。八百長とかでは無いよ。


ざっくり話すと、芝の状態に応じて全体の完走タイムが大きく変わって来る。ダイユウサクは歴代でもトップクラスにスピードが出やすい状態を引き当てた+ペースの主導権を1番強いマックイーンではなく、逃げ馬に合わせた事でタイムがおかしくなった(仮説)とか。


オグリ世代の面々がダイユウサクに勝利を託すべく、中山レース場の走り方を伝授した。ディクタストライカが1988年の有馬記念で出来なかった弾丸シュートの末脚を教えたなどのオリジナル展開を用意。


ダイユウサクが人気薄なのは、これは俺が考えた仮説だけど前年がオグリブームによってにわかファンが大量に増えて、有馬記念で競馬に興味を持つ人が増えた。


そしてオグリのラストランを想起して、翌年の有馬記念も馬券を買おうってなった素人が続出。当然1番人気のマックイーンに売り上げが集中。


しかしマックイーンが負けると予想した人もいるだろう。じゃあマックイーンに勝てそうな馬は…2番人気の馬だろう。と、直前のレース結果などを一切考慮せず初動の倍率や人気順だけで判断。知名度低いダイユウサクは、人気も低い位置からスタート。


そこから時間が進むごとにダイユウサクを人気が下がり、倍率を一瞥してスルー対象に…もしオグリブームによる競馬にわかファンの参入が無ければ、ダイユウサクの馬券はもう少し売れていたかもしれない。


で、全体のオチとしては『ダイユウサクなんてウマ娘はいない』


あの有馬記念を勝ったのはダイサンゲンの筈なのに、何故か皆ダイユウサクが勝ったと言っている。


全体の締めとして、ダイサンゲンを呼んだけど藤井と後輩の遊佐の前に現れたのはダイサンゲン?ダイユウサク?


「今日は取材を引き受けていただきありがとうございます、ダイ——-」完。


話の構成としては、有馬記念の話から徐々に1990年、89年、88年の話へと遡っていく。そこからダイユウサクは有馬記念『だけ』頑張ったのではない。それよりもずっと前から、1991年の有馬記念に勝つ計画が本人の中で構築されていたのではないか?全てが計算されたくしていたのではないか?


そんな作品のサンプルです。前にやっていた話のリテイク版みたいな感じかな。まぁ、やるかは分からんないけどね。



最後に、先月のガチャの成果物の一部を貼って終わりにします。以上