どうも、kame3です。
また新たな小説読み出して、その結果暫く更新をサボるという体たらくをしていました。しかし、なんかアクセス数はしばらく維持されていたのでもうしばらく放置しても大丈夫かなぁと思ったけど流石にそろそろ更新しようと思い、ネタ自体はあるしまだ小説の方は読み終わってませんが更新しようかと思います・・・
で、今回のネタは・・・かなり昔のネタで、興味ない人に何言われても心に刺さらないって話をしたことがあってね。でも、それについてなんだかんだ一年くらい経ってから何となく結論にたどり着いてね。いくら正論を言われて、俺に非があることを理解した上でもそれに反省する気持ちを加えたうえでもその言葉が刺さらないんだよ。
しかし信頼している人の言葉は五分の雑談交じりの中での言葉ですら致命的なダメージを受けるレベルで突き刺さる。その違いは何から来るのか考えたところ、信仰がわかりやすいたとえだった。
これもまた信仰があったとして、今の時代何の意味があるのかと思っていたんだよ。でもなんで嫌いな人の言葉が突き刺さらないのか。それを自分の信仰していない宗教の教えとでも言おうかな?自分の信仰する宗教とは別の教えをしていて、はっきり言って敵。それの信者も込で。
だからインフルエンザとは言えパートのおばちゃんが休みだったのを代理として頑張ろうと思えた。しかしじじいが俺の普段の休みの火曜日を自分の休みにするために俺が出勤するだけでイラッときたもんだ。その日はとっても楽だったし、気分的にも良かったけど・・・オーナーなのだから休まず働けって暴言を内心ではいたものだ。
さらにおばちゃんに去年の巻き込みを謝罪した時は罪悪感で胸が締め付けられるという・・・良心が残っていたのかもしれないと思わされたと同時に、あの直後の謝罪時にはこの痛みを感じなかったなって。それにその時の日に感じた嫌な予感の胸の締め方とは全く違ったし・・・・そこらへんの直感云々の話はまだ分からないなぁ。まぁ、そんな感じで・・・す?パソコンうちはやっぱりやりづらいな。以上