どうも、Kame3=
間違えて短い時間だったけど消えちゃった。
でもいいや。ちょっとくどかったし。先に言うが、向こうの話題ではない。小説自体についてなんだ。
異世界転生や魔法、こうした話が主体の芥川賞とかって多分無いのだろうな。ってお話。
イメージなんだけどね、俺は小説を読むのが好きでは無いし、特に○○賞受賞とニュースになるような本に関しては大嫌いなんだよ。Baccaratだからね。
馬鹿だからね、そう打ってから目を離して予測検索の一番上を選んだらBaccaratと言う、打ち込んだも覚えもない文章ができたよ。
言いたいこととしては、もし異世界転生とかってジャンルだった。その地点で選考対象にはならないし、そもそも作者の中にそのジャンルで書くと言う発想には至らないのだろう。
それに、そうしたジャンルで小説を書いた本は「ライトノベル」と言われる。挿し絵や話の方向性があるのだろうけど…小説のジャンルとしては隔離されている気がするなって。
それとも自ら入らないようにしたのか…でも、ライトノベルって日本の小説って感じがしなくなるよね。なんと言うか、日本の小説のジャンルと言うよりハリーポッターのように外国の小説を日本語訳して出版した外国の小説って感じがしてしまう。
でも、昔の有名小説の方が現代のラノベに近いものを感じるものもあるけどな。と言っても読んだことがあるのは我輩は猫であるくらいだけど。
しかも読んだのが小学生の時で一切内容が入って来なかった。でも、今だとその書き方に思うところがあるんだよ。
例えば俺の想像だけど、本当にお堅い小説で書きたいなら。俺は我輩は猫であるってタイトルだけど、主人公は人にするかな。
人の視点から見た猫の視線の先にどの様な世界が映っているのか。これは猫の視点である、と見えた光景に対して皮肉を言ったりする小説になる。そうじゃないと、猫は人間社会や人間関係を理解した小説が書けない、だから猫を主人公だと野良猫社会のネタになる。
しかし猫を擬人化したかのようにして書いた。そして有名な作品として名を残してきた。
…動物の擬人化のある意味では走りだよ。擬人法というのがあっても、あくまでも人のように何かを考えて動いているのを書くのではない。物を見て、それが人ならどうなるかとワンシーン程度にしか使われなかった。
それに、昔の人だと物を見ていて擬人法するって発想より妖怪とか九十九神になった姿を浮かべるんじゃないかな。例えば皿なら、皿の機能を損なわない、特徴を捉えた女性ではなく、皿に寄り付いてくる害ある生物を考える。
そうした感じで、しばらくして…猫耳とかを人に移植した姿がジャンルとして確立。ただ猫耳が生えた人と猫が人の姿をした。しかし完全に人にはならず一部が猫のまま
この二分化していたのが艦コレの襲来で色々と擬人化が流行ったねぇ。猫のジャンルや性格等ではなくとりあえず生やすか、猫=気まぐれという適当にするか。それがキチンとそれぞれの種毎に性格を考慮されるようになった、って感じか。
そう考えると、昔の小説の方が現代の受賞作に比べれば読みやすいのかもな。
でも、日本は今のアニメ、漫画、ラノベ文化を売りにはしたがらないよね。伝統芸能として昔から続いている文化とか、新たな技術とかを世界に押し出して行きたいのだろう。
でもその横にオタク文化を並べたくない。だが経済を支える柱の一つだから利用はする。どっかの市でも、市独自の萌えキャラを作ろう。とりあえず有名な絵師に依頼して完成した一枚絵を堂々と公開し、それの絵を印刷した観光品売り出して聖地化しようとしたり…たまたま何か有名なアニメで参考にしてもらえれば聖地巡礼、それによって集まった人々に対して『純粋なの観光ではなく、アニメで使われたから来たってのは迷惑だから来るな』とは言わず、逆に歓迎したり…日本はようわからない。
さて、これでネタ的には終わりだが…これはこちらだけの作品だな。向こうに使うネタのために加工するには余りにめんどい。
それと、もし向こうの方もネタ数が増えたら、短編を一つの括りに纏めてその先にその延長に新作会話書いていくとかにするか。
ちなみに今はネタが無いので暫く書けないが。こっちとは色々違うし、数を重ねないと行けないからな…まぁ、すぐ飽きるさ。以上