雪上についた足跡:シフト感覚と個々の進行速度の比喩 | みのやん徒然日記

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オンラインカウンセリング八起きチーフセラピスト、統合ガイド、公認心理師みのやんのゆるゆる語り

午前中に予定のない日は裏山を歩き、北アルプスを眺めています。

なんとも心地よく、まさに「こひしたふわよ」となり、自分に一致している感覚です。

今朝は、週明けの頃に降った大雪がまだまだ残っていて、山の中は20センチほど積もっていました。

そこには足跡がついている道がいくつかあり、通常行っている山の神様のところまでいく道もとても雪深い道となっていました。

管理会社が除雪してくれている路面は雪が解けていてアスファルトが見えて歩きやすいのですが、山道は除雪がありません。

それこそ何人かが入ったぐらいで、ズボズボと雪を踏みしめながら歩くことになりました。

その足跡を踏みしめていると、次のようなことが浮かびました。

そうか、シフトして初めての領域に踏み込んでいくときは、このような先人がいてくれると歩きやすく、まったく一人で歩くときは相当労力がいるもんだ、と。

何人かの人たちが歩いた後は道が踏みしめられているので、雪道ではありますがコースを外れない限り順調に進めます。

ただし、アイスバーンのところは滑りまくりますので、極度に注意深く進みます。

そのような雪道の中でも、数人あるいは一人しかあるいていないところがあります。

その場合、足跡も前に歩いた人の歩幅になるので、自分の歩幅とはかなり異なっていました。

そういうときはけっこう歩きにくくなり、ペースが極端に落ちます。

されど、踏み入れてくれているので、やはり初めて足を踏み入れるよりは歩きやすい。

 

こんな雪道を歩くときと同じように、シフトしていくときに何人もの人たちがすでに歩んでいる後を追いかけているときは、かなりの情報があるので進みやすいものです。

シフトが深まってきて、しだいに自分独自の道が見えるようになってくると、先人が少なくなってきて情報も少なくなってくるため、進み続けるにはそれなりの労力が必要となります。

さらにシフトが深まり、自分自身との対話がしっかりできるようになってくると、まさに自分独自の世界に分け入っていくことになります。

つまり、5次元に近づけば近づくほど、まさに進む道は自分で創り出しているのです。

というよりも、世界そのものを創り出しているのです。

また、シフトのスピードは個人個人で皆異なります。

私の相棒のようにスーパーカーの如く吹っ飛んでいく人もいれば、私のようにトラクターの速度で進んでいく人もいます。

生粋のスターシードなんかは地球への執着が薄いので、シフトも早いのでしょう。

されど、地球での体験重視でその分執着が強い場合は、それを手放していくのに時間がかかってしまいます。

無理やり手放そうとしても、痛みが強すぎたり、そもそもそこまで手放そうとはしていないために、何度も何度も同じことを繰り返してしまいます。

もっとも、そのぐらい執着しきらないと、なかなか手放す決心をしないでしょう。

ですから、手放しにはタイミングがあるもので、ひとりひとり手放しのスピードがことなってくるわけです。

ちょうどこのような一人ひとり異なるものだという感覚を、足跡の歩幅の違いの中で感じました。

 

今朝は、このようにシフトが深まるにつれ自分で独自に切り拓いていく感覚と個々人のシフトが進んでいくスピードの違いの感覚は、足跡の付き具合の違う道を歩いているときの感覚と同じだなあと感じたのでした。

 

それにしても、雪深くまったく足跡のついていないところを歩くのは、本当に労力がいるもので、新たな領域を開拓している先人達はすごいことをやってきたもんだと感じ入りました。

と同時に、誰も踏み入れていないところに踏み込むことはなんともワクワクするものだ、と一人で楽しんでいるのでした。

これを体験するために、今朝の雪中散歩の世界を自ら創り出しているんですよねえ!