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それが、
余計な事は何もするな
何もしないで、どーするかってーと
天地に任せる
なのですです。どーゆ事かというと。
まず、ここでいう「天地」とは
存在するすべてのエネルギーの
流れのことでございます。
合氣道はぶつからない、戦わない。
争わざるの利の武道。ただ
護身としての技として、相手を
投げたり、倒したりする。
その時にですね。相手を投げる!
倒すってなるとさ、
力が入る
もっと言うと、相手を投げよう
倒そうという、我が出る。
私「が」投げる。
私「が」倒す。
そこをですな。その我。
私「が」を手放して、リラックスして
自分の氣を出しつつ
相手の氣を感じ取りつつ
気持ちよく、のびのびと
動きつつ、上下運動
リズムに、流れにのれば
あとは天地がやってくれる
そう任せきるのが極意。
単純な理屈で解説すると
相手を倒す、のは私「が」
倒すのではなくて、
重力がやってくれる
そう信じて任せきる。
それが極意だと、教わりましてん。
確かに、力んで、頑張って
相手を倒そうとしても
相手は動かず。逆に
力を抜いて、リラックスして
ふわっと動いた時の方が
簡単に相手は動くのですよ。
やった感が、ない。相手も
何かされた感がない状態。
手応えがない。それが正解。
なんですが、なんですが。
これがねぇ。なかなかねぇ。
長年染みついた、私「が」は
なかなか手強い。瞬時には
手放せない。そんで、
「動かせなーい」ってなる。
ああ、今日も自我全開だわ
とお稽古の度に、気づくのですわ。
で、これがですよ。合氣道の場に
限らず、人生全般の場面でも
当てはまるなぁと思うです。
その話を次回
恵屋は今日も
生真面目健気ジョシ達が
ココロの荷物をひとつでも 降ろして
カラダの疲れをひとつでも癒して
心軽やかに、幸せを味わうことを
願っております
楽しい一日を
今日も読んでくださって、ありがとうございました