「一生かけて、ってそんな大げさな」
と思う人もいるかもしれんが、奥さん。
これが、ガチにマジにやろうとすると
結構に、かなり
難易度高い
んすよ。だから、今までの時代は
修行なるものがあったワケです。
滝行したり
読経したり(これはなんか違う)
雑念を払うというのは、つまり
思考の声をシャットダウンして
ただそこに居る、在る
境地を目指したもの。
それくらい難易度高い。
ただし、ただしですな。
かれこれ20年以上前に、
とある法話を聞く機会がありましてな。
そのお話によりますと、
仏教にも、段階があるそうで。
創始期は蓮の花時代。
水面上に咲く、蓮の花のように
限られた人だけが悟りを開く時代。
時代が下って、葉や茎の時代に
なると、僧侶とか少しすそ野が広がる。
そして現代は、汚泥期。つまり土の中。
レンコンの時代なのだす
水面上の俗世間からはなれて
清浄な環境で、悟りを開くのでなく
泥の中で、土の中で、俗世間の中で
大衆が悟りを開く時代
とゆーことが、何千年も前に、
すでに予言されていたんだそ。
「そうなのかぁ」と心に留めて
早、20年余り。
まさに今がそう
と実感しているのであります。
泥の中で悟りを開くとは?
かの ゴータマ・シッダールタ 、
いわゆる仏陀は、ジャングルの中で
長期間瞑想した果て、悟りを開いたと
いいますが。
よーするに何したかって。
いつ獣や、毒蛇や、毒虫に
襲われるかわからないジャングルで
ただ、じっと座っているには
自分の生命を守るために
完全に身体と一体化した
状態を作ったとゆーこと。
あれこれ考えてるばーいではない。
全感覚を研ぎ澄まして、危険を
察知しないと
死にます
そうして、自我を静かにさせて
そんで、ニルヴァーナ、涅槃の
境地に至ったんだとか。
(細かい話はもっといっぱいある。
めちゃくちゃ端折った)
とどのつまり、思考を静かにして
ただ、身体で感じていることを
感じている状態で居ればいい
とゆーことですな。
その状態になる、在ればいい
ということであれば
苦行は必要ない
実際、仏陀も苦行は必要ないという
境地に達している。(それを
どこでどう間違えたか、操作されたか
現代宗教では必要としてるけどね)
であればですよ。
日常の中で悟りは開ける
お皿洗いながら、
掃除機かけながら
料理作りながら
仕事しながら
今に居ればいい
のだす。この頃とは
ちょっと、目的というか
目指すものが変ったけど
も含むカンジで、改めて
エア出家宣言
あ、で。何が今日伝えたかったって。
アタマを、思考を静かにさせる。
シンプルだが、簡単な事ではない。
なにしろ、苦行。苦境に追い込まない
そうならない。でもそういう
受動的なイマココじゃなくても
安心、安全な環境で能動的に
イマココに居れば心の平穏は
訪れるよ~。人類の精神が
成長してきて、そうできる時代に
なったんだよ~。
って話でした
日々、なにやかにやドラマは起きるけど
それに飲まれないで、この地球の
体験を楽しむ境地にはなれる
恵屋は是非、そうなりたい
だから
とゆー話に続く
生真面目健気ジョシ達が
ココロの荷物をひとつでも 降ろして