淡々と日常生活を送っていますが、ふとした時にやっぱり考えてしまいます。
昨年の春先から時折咳き込むことがあり。
夏前に近所の病院に行ったら「気管支炎」と。
抗生物質の投与で改善されたのでそのままとなり。
秋口にまたぶり返し。
でまた「気管支炎」なので同じ抗生物質を投与してもらい、落ち着いた(ように見えた)のでそのままとなり。
春先にまた悪化…今思うとこの時にセカンドオピニオンを受けていれば。
季節性のものなのかな、なんて呑気に考えていたら、鼻水まででてきた。
「歯肉炎」ですね、と。確かに口臭が多少気になっていたので納得し。
で、また抗生物質の投与。
3週間で薬の効き目がなくなる頃にちょうど悪化するので、その都度病院に。
「歯を抜くことはできませんか?」
「大学病院に行かないと無理ですね、抜けるまでこのまま過ごすしかない」
(そんなこと言われても、、、それまで我慢させるの?)とモヤモヤ。
せめてこの時にセカンドオピニオンすべきだったのに、そのまま過ごしてしまった。
そのうち「夏からの体重減少が気になるので健診した方がいい」と言われ。
それで胸水が発覚して、そこから坂道どころじゃない、崖を転がり落ちるように悪化して亡くなってしまった。
いつどのタイミングで腫瘍ができていたのかは定かではないし、何より飼い主である私の病識が欠落していた・健診をおろそかにしていたことが一番の原因なのですが…
昨年の春の時点で、レっちゃんの脚が一時期グルーミングでガビガビになっていて、今思えば体調の変化を感じていたのだろうけど、「ストレスじゃないですか?何か環境の変化はありました?」とそれで片付けられ…。
これはまあ仕方ないけど、
最後の最後、ちょうど一週間前の木曜日に緊急で診てもらって「血胸」状態になった時も、のんびりと(というふうに思えた)「もうここでは診ることは難しいですね。大学病院に行かないと」と言われ。
混乱したまま帰宅して大学病院に連絡するも「動物病院からの紹介がないと予約できないんですよ」と言われ、例の近所の病院に電話したら「そうなんですよー先ほど言いませんでしたか?(多分言われていないと私は思う)えーと、じゃあしましょうか?」とのんびりとした感じで言われ。
コンタクトをとってはくれたものの「混んでいて22日になるみたいですねえ」と、他人事(そりゃそうなんだけど)のように言われたことを根にもっています…。
なので結局自力で直後に専門医のいる病院を探し当ててコンタクトをとったのですが。
あまりにも医師がのんびりしていて、まさかこんな危篤状態だなんて思いませんでした。
「止血剤打っておきますね」
「この後どうすればいいんですか?予約がとれるまで毎日ここで止血剤を打ってもらうんでしょうか??」
「そうですねえ」
って。。。。
まあ私が無知なのが悪いのですが。
もう近所の病院にはかかることはないな。トニーの時はレッちゃんの最後の病院にしよう。
最後の病院は大きめで、予約外だったので当然待たされたけど、診てくれた先生(ギャルみがあったので最初不安だった)の説明がわかりやすく、途中で涙ぐんでしまった私にさりげない優しさで寄り添ってくれ、最期への意志も静かに汲み取ってくれ、今思うと良い病院でした。
ネックは車で40分ぐらいかかることだけど、、、(近所の病院は車で10分だった)。
落ち着いたらまずはトニーの健診に行ってみようかなあ。
・・・・・・・
そんなこんなで、実は長い間苦しませてしまったであろうことにすごく罪悪感を覚えています。
それでなくても、隔離部屋だったり、上下階に分けて飼っていたりで、彼女にはすごく負い目を感じていた。
2階住民だと寝る時は一緒だけど日中は違うもんね…。
夫が「定期的にトニーと階を交換したら?」と提案していたが、今思うとそうしたらよかったな。それも後悔。でも当時は、テリトリーが定期的に変わるのは逆にお互い不安になるんじゃないかと強く思っていたので、結局実現できなかった、、、
考えると後悔しかない。
唯一自分の選択でおそらく間違っていなかったのは、最後の病院で、検査からの入院を拒否して自宅に連れ帰ったことですね。
多分あの状態だと、たとえ病院の設備の下といえど、その日でなくても入院中に病院で亡くなってしまったのではないのかな。
自宅で亡くなることができたのは良かった。
でもそれだけだ。
最期の最期は壮絶で、、、、、、、
ごめんね
ごめんねって言ってはいけないらしいけど、ごめんね、しか出てきません。
今はただ、いつか生まれ変わって会えることを信じています。