3月25日私達夫婦は皇居乾通リを通リ抜けして北の丸公園に出て一服して千鳥ヶ淵緑道を経て半蔵門に向かいました。半蔵門のダイヤモンドホテルでランチして、午後は新宿御苑に向うけいかくです。珠に都心に向かうのですから、欲張ってしまいます。私が大手町の長銀本店に勤務していた頃はお花見が盛んで皆して千鳥淵に向かいました、皇居の一部分を北の丸公園として開放されてからも何故「お花見は千鳥ヶ淵」でした。トイレも含めて北の丸公園は千鳥ヶ淵よりお花見に適しているのでしたが、東京都民の「千鳥ヶ淵が一番」の感覚が強いのです。「靖国神社」や「戦没者慰霊碑」が在って桜が綺麗であって皇居お濠の水が桜を映えて見せる事実が「お花見は千鳥ヶ淵」と確信させているのでしょう。川端康成の三姉妹の冒頭は美女三姉妹が平安神宮の内苑で紅枝垂れ桜をお花見する場面ではじまります。京都の平安神宮内苑に桜に匹敵するのが東京の千鳥ヶ淵でしょう。
京都博覧会会場の建築物を平安神宮に残して京都の植木職人の伝統技術を発露する庭園として神苑を造形しました。
千鳥ヶ淵は明治政府が東京に都を移転するに際して「局沢川」と呼ばれていた河川を半蔵門と「田安門」で堰き止めて作られた明治のお濠です。1900年(明治33年)に道路建設為埋め立てられ別々のお濠になったもので、千鳥ヶ淵の名は「局沢川」時代の名が遺されたものです。1959年(昭和24年)に「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」が作られ、第二次世界大戦に際して海外で死亡した日本人の遺骨依が安置されています。千鳥ヶ淵付近は桜の名所として有名であり、千鳥ヶ淵遊歩道は桜のライトアップも実施され、お花見に必須なトイレや貸ボート等が揃っているので昼も夜もお花見に興じる事が出来ます。東京のど真ん中で在り乍ら生物多様性が保たれ環境省が生物多様性と歴史的な美観を管理保全しています。今日から文化庁が京都に移転しますが、何れ環境省も京都移転の対象になるかもしれません。何故なら自然環境も歴史資産も先人から現代に受け継いだ私達世代であって、未来の日本人に良い状態で継承しなくてはならないからです。京都には優秀な庭園造形企業が集積し、バイオ産業も活発で日本を導いているからです。
北の丸公園は芝生の張替えや池の工事中でした。
北の丸公園からは陸橋で首都高を渡って千鳥ヶ淵遊歩道に向かいます。
橋の東に「近代美術館工芸館/旧皇軍警察署」があります。
千鳥ヶ淵遊歩道は泥道で水たまりがあってジョギングシューズでは水が浸水して大変でした。
麹町の英国大使館方面から来る人とすれ違い困難でした。
千鳥ヶ淵遊歩道の上段は染井吉野下段は大島桜が自生していました。
千鳥ヶ淵遊歩道の上段は染井吉野下段は大島桜が植えられうました。
千鳥ヶ淵遊歩道の上段と下段を分ける石垣の土手には野生の大根が花盛りでした。
英国大使館前の交差点を袴姿の女子大生が渡って千鳥ヶ淵に向かって来ます。麹町には二松学舎大学と実践女子大があります。今日(3月25日土)は卒業式であって、謝恩会がもよおされるのでしょうか?女子大生と云えば,桜の様に華のあるもの。生憎の雨天でも千鳥ヶ淵の桜は袴姿の女子大生にお似合いです。
コロナ禍にも耐えて晴れの卒業は生憎の雨でした。でも青春の素晴らしい思い出が出来た事でしょう。
昨日は快晴で最高のお花見日和でした。屹度千鳥ヶ淵の緑道は花見客で混雑した事でしょう。でも今朝の千鳥ヶ淵緑道にはゴミ一つ落ちて居ません。私のサラリーマンにはお花見の後はゴミが散乱してネクタイや革靴(片一方)が散乱していました。WBCでは日本選手のゴミ掃除姿が話題になりました。お掃除上手は私達団塊世代の長所ではありません。現代の若い世代が世界の模範になっているのです。強いて言えば団塊世代は平成世代の反面教師になった様な気がします。大気汚染に大量生産大量消費環境汚染は団塊世代の恥ずべき所産でした。平成世代は親世代の汚点を観て日本文化の本来の姿(材を大事にする伝統や清浄を尊ぶ感性)に戻してくれたようです。
3月25日(土)の午前、ごみ一つ落ちていない千鳥ヶ淵緑道
染井吉野も根元を保護されているので健康な樹勢です。向こうにあるごみ捨て場は幾つにも分別されています。
午前中のゴミの回収も終えた様でした。
桜は花自体が美しいのですが、美しさを際立たせる環境も大切です。千鳥ヶ淵の水辺や土手に自生している菜の花や大根花が桜の集合美を際立たせてくれます。京都や奈良に行けば五重塔等の古い建築が桜の美しさを際立ててくれています。内濠の向こうには桜田門の白壁と黒い甍が見えます。「花の生涯/NHK大河ドラマ」を思い出しました
内濠の水をバックにすると桜は一段と美しさが際立ちます。お濠の土手は菜の花や大根花が咲いていました。
向こうに在るのが桜田門で手前の内濠の土手は菜の花と大根が自生していました。
桜は小花で単体ではさして美しくはなく薔薇や椿に負けてしまいますが集合花で一番に美しく人の心を打ちます。集合花としての美しさを際立たせた桜が染井吉野ので千年の間日本民族が育成して来た成果が江戸時代末期に染井吉野を育てたのでした。明治政府が千鳥ヶ淵や靖国神社に染井吉野を植えて文明開化を喧伝したので染井吉野は全国にひろがりました。行政の第一は治水ですから。全国の河川の堤防に染井吉野を植えました。奈良京都と云った古都の歴史的建造物を彩るのも染井吉野が最適でした。NHKは大河ドラマで「花の生涯/井伊直弼」を成功させ、今年は「どうする家康」です。
1963年NHKは井伊直弼の一生(桜田門外の変で最期を遂げる)を放映しました。(淡島千景と尾上松緑)
白黒画面をカラー化して再放送しています。出典NHK)
全国各地で桜を観て来ましたが矢張り千鳥ヶ淵の桜は日本人の心琴に一番に響きます。 【了】