昨夜、どうしようもなく淋しくなり馴染みの店へ。久しぶりだ、こんなこと。スタッフの顔を見たら落ち着き、ノンアルコールで閉店まで。

理由はわかっているのだが、解決の見通しがない。もう少し冷却期間を、というのが精一杯。お互い顔を合わせる機会があれば、ずいぶん印象が違うはずなのだが、機会に恵まれない。こういうのを縁がない、というのだろうか。

今日は研修最終日。午前中はカレンダー配り、午後は自主練習。30キロ先の蟹田町へ。かつて住んでいたことがある町だ。



当時の自宅跡。退去してからは解体され、更地になっている。

私の乗ることになった車両は、子会社でたった一台のプリウス。親会社のお下がりの(ロゴが消しきれていない)コンフォートかクルーだろうと思っていたので、心底焦る。所長いわく、

「こういう車はベテラン向きじゃないから、君に預ける。新人のうちはATの方が接客が楽だろうから、もってこいだ」

小規模であたたかい職場、私にとってはまたとない再出発である。来週2日からの乗務は、とにかく安全運転で頑張ろう。それだけだ。
※「Bluesy」に提出した詠草です。


理想など飯の種にもならなくて履歴書の書き方なんて忘れた

不惑過ぎ家庭を持てぬ俺たちの夕餉はコンビニ弁当ひとつ

競馬には野郎二人で行きますし寝起きのままのジャージなんです

カウンターの隣でダチが書いている退職届の文字は乱れて

キャバクラに行ったら暴走止まらない あのなあ明日仕事なんだよ

キャバ嬢が路上で眠る明け方に連れの男が立ちションをする

朝の街はいろんなものが落ちている吸い殻空き缶浮浪者 希望

日めくりははがさずにおく三日目を迎えた俺のバレンタインディ

※「色彩の子ども」に提出した詠草の完全版です。八首目は地元では前師匠川崎むつをの「柳の歌」のパクり(「色彩」の6.7首にあたります)と評されました。結句「色ましている」は完コピですから、強ち間違ってもいませんね。


諦めの旅ではあつた磯の先の白い燈台に日が映してゐた(鳴海要吉)




緑青はたぶん血の色全身に満たされている致死量の毒

眠れずにキッチンに立つシンクには三角コーナー錆びついていて

酒焼けの顔を鏡に映すとき会うことのないひとを恨んで

外せなくなった眼鏡の鼻当てに緑青色のあきらめがある

緑青に毒などなくてバスの外(と)のブロンズ像は雨に打たれる

いつからか人が隣に座るのを嫌う自分に気が付いている

「諦めの旅ではあつた」要吉の石碑は少し苔むしている

歳月のあきらめを持つ銅葺きの社殿の屋根は色増している

死んだ者だけが正しい暴かれた墓に私は入っておらず

錦木は狭庭に紅く北風の吹き荒ぶまま立ちつくすのみ
※夏にひねった自由律俳句(五句目は字余りの定形ですが)です。三十首連作にして俳壇賞に出す予定でしたが断念したので、抜粋してここで供養。どことなく山頭火調ですね。敢えて多行俳句にはしませんでした。自由律を標榜しながらも保守的作風なので、短歌も俳句もネットの皆さんに最近ついて行けないんです。だからTL上での自作ツイートをやめたのですが。


一面のくさはら一面のうなばらねぶたコ流れろ

日焼けした少女は泳ぎ疲れてスカートふうわり

浜茄子は数珠にしようかパンプス陽炎に揺れ

紫陽花は枯れそびれて盆踊りの蒼い環

颱風一過どこも蒲団を干している
関係者のTwitterを読む限り、文フリも無事終了したようだ。本州北の外れで地団駄を踏んでいたが、何はともあれ安心している。ツイ休宣言後ということもあり、日がなROM専だったが。
今回も出詠作品の出来が悪く、さらに精神的に荒れ、関係者にはご迷惑の掛け通しだったことを反省。とりあえず春の文フリは稼ぎ時なので参加できないけど、そのうち忘れ去られるだろう。
仕事モードに頭を切り替えてしまったため、さらに輪をかけて歌は詠めず、10日に迫った結社誌の締め切りに悪戦苦闘した。
中学校時代に詠んだ短歌を日記から引っ張り出し、推敲してとりあえず十首まとめる。推敲にあたり、結社の方針に合わせて自由律にした。
また研究会用の五首は、「あがないの聖者」「虚に生くる月」など最近の作風が先輩から酷評されたのもあって、比較的明快な「高倉健がこの世にをらぬ」から五首選んでおいた。けやきの会の詠草三首はこれから考える。
今日は原稿書きの傍ら、古新聞や廃プラスチックの整理など家事に没頭していた。こういう時に一緒にいたい人と疎遠になったこともあり、やたらと暇な連休ではあった。
おそらく明日から二三日、電話が止まるだろう。転職の端境期で無収入だったためだが、気分は最悪。
さて明日から研修再開。今日を境にしばらく歌から離れる。「高倉健」はプリント実績がなく、最終日を
待たず配信を抹消した(どうせブログに載せたし)。

気がつけば季節はいつも冬だから心もかたく雪囲いする(美映)