価値観の違いは相性の悪さとはちがう | 音叉とエニアグラムで周波数をあげるセラピー。本来のワタシへ。ヒーリングサロン Pulse(パルス)

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エニアグラムで理解、頭に心が追い付かないときは身体にアクセス。音叉とアロマを使うハンドヒーリングで優しく、かつパワフルに体と気持ちを立て直していきます。ココロとカラダの調律師 まやこ(かまちょの部屋)

おかげさまで、ありがとうございます。
最近、2時半に目が覚めてそこからの4時間くらいが眠たいけど眠れない、が続いております。

もう、ブログ書いちゃえっていう感じの明け方。

現在は4時。

まぁこの時間なら、もう朝ですから

朝活動や朝早い出勤の方はもう起きている時間ですね。

起きてもいいんだけど、それはイヤっていうね(笑)

さてさて

やはりどんな状況においても

「自分の価値観の正義」というのは手放すのが難しいなぁと感じてしまいます。

ワタシは万人受けも絶対もないと思っているので

「ずっと」「必ず」「絶対」という表現を好みません。

なので

「裏切る」「許さない」などの言葉も好みません。

しかしこれは所詮ワタシの価値観の正義なのも理解しています。

自分の価値観を「絶対」だと思っている人は

「裏切る」「許さない」を発動させるし

押し通すこともする。

それもその人の価値観の正義。

誰がいいとか悪いとかではなく

自分の苦手を人がやってくれているわけで

この世のバランスを互いにとっているんですよね。

相手によって役割を得

結局活かしてもらっているのかもしれません。

性質とは面白いものですね。

自分と価値観がちがうと

相手のことを「変わっている」「おかしい」扱いして

関係を絶ってしまう人もいますけど

それだと結局、自分の価値観と同じ人だけとつるむことになって

話題も堂々巡り。

愚痴と傷の舐め合い、ゴシップに偏ってしまったり

人に価値観を押し付ける物言いになりやすい。

相性がいいというのは、そういう仲間のことを言うとはかぎりません。

互いの良さを引き出してくれるならば

相反する価値観の可能性だってあります。

ワタシの大切にしたいと考えている(できているかは別)ことに

想像力と客観視

というものがあります。

世界が狭いと

想像力が足りなすぎて言葉が鋭利になりすぎたり

逆に妄想力が強すぎると本人でもないのに

無駄な共感もどきや被害者意識も持ちやすい。

親子のことも夫婦間のことも友人関係のことも。

みんな自分が過ごしてきた道で触れてきたことが基準になっているわけですから

田舎道のような人生もあれば

繁華街のような人生もありましょう。

見るものは少なくても大きかったかもしれないし

見るものは多かったのに小さかったかもしれない。

それもコミュニケーションによって知らされるものでもありますね。

大きい人を見た時に自分は小さいなと思えれば

その人は、そっちに向かって行くセンスを既に磨いているということでしょうし

小さい人を見た時に、つい引っ張られてしまうなら

まだまだ鍛えどころがあるということでしょうし

今の自分と周りを客観視できることが大切ですね。

いつだって今出来ることが、今の自分の全てだし

出来ていなくたって今のベストでしょうけど

明日はちがう自分になれる期待は常に持っていたいなと思います。