”いのち”の選択 覚悟する生き方(3) | 愛知県瀬戸市の岩っちだがね (^_^)ノ

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(続)上田紀行さんの講演の要約

我々日本人の生き方として、自分の意見は意見、議論は議論として、国策が決定した以上、それを実行するのが慣習である。
戦時中の首相や大臣が戦争反対でも、国策として決まったものは粛々と行うものである。


東電の清水社長、被災地で土下座して謝ったが、3600万の退職金をもらった。
当然、そのお金は被災者に還元されてしかるべきという意見が出る一方、清水さんかわいそう、だって責任は前の社長、その前の社長に責任があり、たまたま清水さんの時に震災が起きたのだから、3600万は安いのではないか、と。


空気が決まってしまえば、空気に沿った意見しか出てこなくなる。
学校でいじめがあっても、止める空気にならない。
震災直後に日本では暴動が起きない。
苦難な状況に会ったらみんなで協力し合うのは得意だが。

だけど、どんな理不尽な状況を作り替えるのは不得意である。
おかしいことはおかしいと言う発言をする、あえて空気を読まないことが難しい。

空気を変える意見を出すことがすごく不得意である。
これはコインの裏表(長所と短所は表裏一体)と考えて欲しい。

人災の部分に関しては、状況を変えていかなければならない!
このような状況を変えていかないと、同じ状況が続くでしょう。

ダライ・ラマ氏との対談で、
仏教徒は怒ってはいけないのでは?どんな差別などがあっても貧困があっても怒るのは修行が足りないお坊さんはでは?
と伺ったところ、

まず、小さなことでキレるのは止めましょう。
ただし、大きな差別や、大きな社会問題に対して仏教徒は怒らねばならない!
なぜなら、それは「慈悲の心」があるからです。
と答えられました。

怒りには2種類ある。悪意からの怒りと慈悲からの怒り。

人に対して怒る、人の失敗をあざ笑うのが悪意からの怒り。
人に対して怒るのではなく、(社会の)システムに対して怒る。(罪を憎んで人を憎まず)
システムを変えないと人々の苦しみが軽減されないのなら、システムを変えていかなければならない。


静岡で、東京の子どもたちと福島の子どもたちと遊ぶワークキャンプをやった。
そこでの福島の子どもたちの行動がショッキングだった。

みんな3時間、外で遊んでいいよと言っても10分くらい立つと建物の中に戻ってくる。
1日60分しか外に出てはいけない、小学生は10分立ったら戻ってこないといけないと言われている。その行動が体に染みついている。
あそこのブルーシートにみんな座ってと言ったが、福島の子は座らない。
「だって、あの下には汚染された土壌があるんでしょ?だから座れない。」と言う。
雨が降ってくると、わーっと逃げ帰ってくる。
ここでは放射能は降ってこないよと言うと、わーっと遊び回る。

食事の時間、この野菜はどこの野菜?と聞いてきたので、これは汚染されていないよと言うと食べ始める。中学生は遠慮していた。

「だってもし汚染されている野菜だったらボクは小学生より年長者だから率先して食べなきゃいけないと思ったから。」と言った。

福島の子どもたちが帰る日が来たとき、涙ながらに東京の子どもたちが「今度は僕たちが福島に行くからね~」と言ったが、福島の子どもたちは涙ながらにこう言い返した。

「福島なんか来ちゃダメだよ!だって君たちは汚染されてないんだから。」
「僕たちは見捨てられてるんですよね。私たちは一生お嫁に行けないんだよね。」

(福島から)出て行ったら裏切り者と思われる。そんな風潮になってきている。

この風潮を作ったのは我々大人の責任である!
これを変えなければ震災は終わらない。
変えなければこの風潮は続いて行ってしまう。

生きる覚悟。
40代、50代を過ぎた人たちは次の世代の人の幸せために行動しましょうではありませんか!

上田紀行さんの講演分は終わりです。

次回は、草場一壽さんの講演です。