5階は鳩対策ネットがないそうなので、どうするのやら・・・
心より愛と感謝をこめて
巨大だがつつましい――。15日、関係者に全容が披露された新しい国立競技場から伝わるそうした印象は、建設までの経緯や時代の要請、設計を統括した建築家・隈研吾氏の設計手法とピタリと符合する。そして持ち味をあえてまとめるなら、「調停の建築」ということになるだろう。
この競技場は、一大イベントである五輪の主会場であることに加え、ザハ・ハディド氏らによる案が白紙撤回されたこともあって、極めて高い関心を持たれてきたといってよい。
実は競技場という建築形式は、美術館や学校に比べ、デザインの自由度が低い。トラックやグラウンドの形状、大きさはほぼ決まっているし、スタンドの形式も選択の幅は狭い。2008年の北京五輪の際の通称「鳥の巣」は斬新な造形で知られるが、目に飛び込んでくるのはスタンドの外側と「おわんのふた」の部分だろう。
新しい競技場も、視覚的な見せ場は外側と「ふた」といえる。そこで主役を演じる素材は「木」だ。
外周を巡る4層の庇(ひさし)のうち下3層の「軒庇」には、多数の細い木材が放射状に配されている。全国から集められたスギ材は「垂木」のように見える。各層には植栽も施されている。屋根を支える構造材にも、一部にカラマツやスギといった細い国産材が使われている。木は環境重視の低成長時代にふさわしく、「和」の雰囲気も出せ、目にも優しい。コンセプトも「杜(もり)のスタジアム」だ。
こうした細かい木材の反復は、周辺と調和し、さまざまな外力を受け入れる柔軟な「負ける建築」を唱える隈氏の真骨頂といえる。
ただし、主たる構造は鉄骨やコンクリートだ。木は建築全体から見れば、表層的な存在といえる。周囲の庇も、風雨にさらされやすい最上層の大庇の下は、木目調塗装をほどこしたアルミ材だ。屋根を支える構造材も中心は鉄骨で、その周囲を木で巻いている。こうした割り切り、あるいは現実主義は随所に見られる。
1980年代に建築界を席巻したポストモダン建築も、コンクリートなどの構造に、遊戯的で華麗な表層をまとい、親しみやすさを狙った。対して今回の「木」の扱いは手堅く、派手さや華麗さは薄い。むしろ抑制的でありつつ、目に入りやすい場所に「木のイメージ」を配することで、表層を建築の「本質」に転化させたようにも見える。
近年の隈建築では、細かい木材をランダムに、あるいはうねるように配して、躍動感やカジュアルさにつなげるケースが多いが、今回はカジュアルさというよりも、シンプルさやつつましさを感じさせる。
これは、この建築が誕生するまでの経緯と無関係ではないだろう。当初のハディド氏の案は斬新な流動的造形を見せていたが、約70メートルの高さを含む景観面と、何より高額な建設費が批判を浴び、白紙撤回された。
その後の設計・施工一体型公募を経て選ばれた、隈研吾建築都市設計事務所と大成建設、梓設計の案が、高さ50メートル以下の抑制的なデザインだったのは、当然ともいえた。出直し設計ゆえに、デザインの自由度も必然的に低くなった。審査では工期や工費が重視され、当初案の施工を担当することになっていた大成建設のグループに「優位性があった」という指摘もある。
当初案の存在、厳しい工期・工費、環境重視の時代、五輪の顔、さらに大会後の活用に予想される難しさ――。このつつましい姿は、極めて複雑多様な条件や建設までの経緯を「調停」した姿に映るのだ。(編集委員・大西若人)
本日 朝日新聞 朝刊 より