100年以上、謎のままの「乱流」。スパコンでの解析に期待♪♪♪

 

 心より愛と感謝をこめて

 

グラフィック・長野美里

 水や空気など、液体や気体はまっすぐ流れることはほとんどなく、乱れて流れる。「乱流」と呼ばれ、車の空力性能や騒音などに関係するため、様々な製品で制御の工夫が凝らされている。だが、実は基本的な原理は十分わかっていない。謎の多い現象だ。

 

 快音を響かせて空に吸い込まれていくゴルフボール。ナイスショットを生んでいるのも乱流だ。ボールの表面には、たくさんのくぼみ「ディンプル」がある。ミズノ(大阪市)研究開発部の鷲田雄大さんによると、ゴルフは元々、つるつるのボールでプレーされていた。だが、使い込んで凸凹になったボールの方がよく飛ぶことが経験的に知られるようになった。これがディンプルの始まりだという。

 

 鷲田さんによると、ボールが飛んでいる時、ディンプルがないと空気はボールの前方から表面に沿うように流れ、ボールの後方で大きな渦をつくる。渦ができるとその部分の気圧が低くなってボール正面との間で気圧差が生じ、大きく減速する力が働く。一方、ディンプルがあると空気がボールを沿う段階で小さな乱流ができ、ボール後方の渦を小さくする効果があるという。ショットの飛距離に関係するため、各メーカーが研究にしのぎを削る。

 

 京都大iPS細胞研究所(京都市)の江藤浩之教授は、iPS細胞から血液中の血小板を作製する研究を続けている。実用化レベルで作製するカギだったのが乱流だ。

 

 もともと血液は血管中をまっすぐ流れると思われていたが、流れを再現してもうまくいかなかった。実は血小板は乱流が起きる血管のカーブ部分で盛んにつくられていた。物理学の研究者と工夫を重ね、独自開発した培養装置は、タンクの中に斜めに入った円盤が上下する仕組み。江藤教授は「培養液中に乱流を作っている」。血小板の大量生産に成功し、関連のベンチャーによる治験を控える。

 

 また、JR西日本大阪市)は、500系新幹線のパンタグラフに、静かに飛ぶフクロウの羽を模したギザギザの突起を付けた。この突起が乱流を発生させることで、時速300キロメートルの高速走行で生じる騒音の低減に成功した。

 

 他にも、自動車や航空機の燃費や性能の向上、水道など配管の劣化対策、河川工事など気体や液体がかかわる多くの分野で、乱流の制御や把握が必要とされている。

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 乱流研究の歴史は古く、英科学者レイノルズが1883年に実施した実験にさかのぼる。

 

 まっすぐな流れになるか、乱流になるかは「レイノルズ数」という数値で評価できる。物質の粘性と、流れる速度などによって計算される。粘りけが強く、速度が遅いとレイノルズ数が小さくなり、まっすぐな流れを生む傾向にある。例えば、ハチミツを垂らした際、まっすぐ下に落ちていく姿がイメージしやすい。一方、さらさらとした物質で、流れる速度も速い条件ではレイノルズ数は大きくなり、流れは乱れる。

 

 実は、乱流について普遍的にわかっているのはこれだけだ。

 

 岡山大の柳瀬真一郎名誉教授によると、戦前までは世界中で理論研究が盛んだった。ロシアの数学者コルモゴロフやハンガリーの航空学者フォン・カルマンらにより、いくつかの法則も提唱された。だが、柳瀬さんは「この70年ほどは、基本的には進歩していない」と話す。

 

 乱流を観察すると、液体でも気体でも渦が発生し、乱れが大きくなっていく。だが、渦がどのように発生し、拡大するかの普遍的な解明や予想は大きな謎だ。柳瀬さんは「空間的な構造条件などが無数にあるためで、いわばカオス(混沌〈こんとん〉)こそが乱流とも言える」と話す。

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 乱流の普遍的な原理が分からないなりに、実社会では乱流を制御したり、使いこなしたりできている。背景には、戦後急速に普及していったコンピューターの力がある。風洞実験で繰り返し得られた結果を取り込んで解析。性能が上がるにつれ、個々の対象物で発生する乱流のシミュレーションが可能になった。「いわば力業」(柳瀬さん)で、産業分野ごとに研究開発が進んだ。

 

 社会への応用が先に実現したことで、原理や理論の研究がかえって進まなくなった側面もある。大阪大の後藤晋教授は「実用的には、事足りるようになった」と話す。

 

 ただ、近年、観測しきれない大規模なスケールでも乱流がカギを握っていることが明らかになりつつある。例えば、宇宙空間でガスが集まって星を形成する過程など、星間物質でも乱流が起きていることがわかってきた。将来、有人宇宙探査や宇宙旅行が可能になったとき、乱流の嵐に巻き込まれるわけにはいかない。根本的な乱流の発生メカニズムの解明や予測は、重要性を増している。

 

 後藤さんはスーパーコンピューターを使い、一様な空間で発生する乱流を調べたところ、一見ランダムのような流れは、大中小の大きさに分けられ、秩序のある渦をつくっていることを示した。後藤さんは「多くの数式や条件を入れて動かせるスパコンがさらに進化していけば、乱流について多くのことがわかる」と期待する。(野中良祐)

 

 <ダビンチも記録残す> 15~16世紀を生きた芸術家レオナルド・ダビンチは、芸術にとどまらず、科学的にも精密なスケッチやアイデアを多く残したことでも知られる。ダビンチは液体の流れを渦として記録していた。乱流の研究はレイノルズの実験に端を発するが、既に500年も前に乱流の本質を見抜いていた。

本日 朝日新聞 朝刊 より