母校の大学、工学部は就職率99%の中、一人だけ就職できなかった僕の過去
別に就活をやらなかったわけじゃなかった。新卒でSPI3も受けて、面接も受けて最終面接まで行って、やっぱり落とされて、交通費と履歴書代、写真代だけがかさんだ。3月から急速にみんなが内定をもらっていく中で、僕は何社を受け手も落ちるばかりだ。最終的に教授からのLINEからの手助けに返答できずに僕は逃げたんだ。アカウントも消して今では別のアカウントを使っているから、大学の友達や教授の連絡先はない。前向きで、熱心で、温かくて、あきらめの悪い教授だったことをよく覚えている。そんな人を心から失望させてしまってたかもしれない。今まで就職率100%を誇っていた学部がその年だけ99%を記録したからだ。独りだけ就職できない。そんな孤独感に苛まれながら、既卒で就活を続けるも実績がなく受からず。地元で働く高校の友達から遊びの誘いが来るも、恥ずかしくて返信できなかった。お金もなかった。ただただ虚しかった。無力な自分を恨んだ。残った大量の負債を親に背負わせてはいけないと自殺だけは拒んだ。もう逃げるという選択肢はなく、必死で闘病しながら就活した。面接練習を一人でするも、暗記をしようとすると脳内で幻聴が会話を繰り広げて集中できない。覚えられない。てんかんの影響で記憶が、意識が飛ぶ。そんな中で人生に抗ってきた。抗ってきたけれど、家族は終いには崩壊して、今では別々の場所で生きている。これは自分が招いた結果なのだろうか。僕が進学すると決断しなければこうならなかったのだろうか?僕が病気にならなければこうならなかったのだろうか?今でも堆積する不安と悩みに壊されそうになりながらも、心の中で泣きながら毎日を生きている。