昨今は鉄道の赤字路線の問題がニュースなどでも
頻繁に話題になっていますね。
KALZAとしても
『ふーん・・・鉄道会社って大変なんだなー』
と言う話で見る訳には行かないのです。
鉄道の難点は赤字路線になったから
『儲からないので走るところを変更します!』
なんて出来ません。
線路を敷いたり延伸するには莫大な費用が
かかります。
他線へ乗り入れるにも費用が必要です。
だから不採算な路線は廃止にして
バス転換するケースが多いのです。
バスなら道路さえあれば走るところを好きに
(もちろん営業申請は必須ですが)
変える事ができます。
ガチャポンもルートで補充などに回るため
KALZAも赤字ルートにならないルート設計が必要なのです。
だからエリア拡大などには、毎度シビアになります。
(最近エリア拡大している業者が散見されますが
自社周囲だけでは売上が厳しくなったのだろうと
分かりますがコストにも、はねてしまいます)
千葉県にある銚子電鉄も赤字路線でしたが
食品販売事業を立ち上げ収入を確保しつつ
鉄道=沿線の足
という概念からエンターテイメント鉄道へと
鞍替えして黒字化を達成させた事でも有名です。
静岡県にある大井川鐵道も古い電車を走らせたり
トーマス機関車を走らせるなど
高い技術を持つ車両技術者が地方ローカル線を
支えており、沿線の足ではなく鉄道ファンを
喜ばせる観光収入を確保しています。
さて、その昔、九州では僻地である宮崎県に
さらに宮崎の僻地を走る鉄道会社がありました。
それが宮崎交通の宮崎交通線です。
宮崎県にある南宮崎駅から内海港までを
結んだ鉄道路線で大正時代1913年の
10月末に宮崎軽便鉄道として開通しました。
(途中で宮崎鉄道に社名を変更します)
内海港は定期航路がある船の寄港地だったので
寄港地から宮崎市内への輸送に鉄道があると
便利だと言うことから開業させたものの
内海港は堆砂しやすく、しばしば船が
寄港できなかったり、国鉄日豊線が開業し
貨物などの輸送を取られた事
戦時下の交通統合で競合になっていたバス会社と
統合されて宮崎鉄道から宮崎交通の鉄道部門へと
変わることになりました。
そんな開業してから、あっという間に経営が
弱っていた宮崎交通線でした。
1950年代、宮崎交通は今では珍しくもないですが
当時としては日本で唯一の事を始めます。
それが蓄電池車です。
昔の地方鉄道のほとんどがディーゼルエンジン式か
ガソリンエンジン式、小型の蒸気機関車に
木造の客車を引くようなものが主流でした。
(エンジン式の機関車で客車を
引く地方鉄道のイメージ)
ディーゼルエンジンなら燃料として軽油が
ガソリンエンジンなら燃料としてガソリンが
蒸気機関車なら燃料として水と石炭が必要になります。
お客が乗ろうが乗るまいが、コストとして
毎度毎度発生しますし、これらの化石燃料は
燃料代が値上がりしたら経費に直撃します。
(戦後の混乱で燃料類は値上がりしていました)
(蒸気機関車で客車を引く地方鉄道のイメージ)
鉄道業者として痛いコストの一つが燃料代。
とはいえ路線に架線をかけて電車を走らせるのは
莫大な工事費が必要です。
宮崎交通は当時、日本で唯一の蓄電池車両を
走らせる事で燃料コストの課題を解決していました。
宮崎交通線には途中に青島という
昭和30年代頃はハネムーンなどで人気だった
観光地がありました。
南宮崎から青島までを蓄電池で動く機関車で
客車を引いて走る方式で運行していました。
(当時の蓄電池機関車)
南宮崎駅に蓄電池(バッテリー)を交換する設備があり
バッテリーを交換して折返し発車が可能でした。
国鉄から譲り受けたディーゼルエンジンの車両も
改造して蓄電池車両に変えて走らせていました。
蓄電池のバッテリーだって頻繁に充電と使用を
繰り返していれば寿命も早くやってきます。
とはいえ頻繁にバッテリーを購入するのには
せっかく燃料費を節約したのに本末転倒・・・
そこで自社で廃バッテリーの再生も行っていたようです。
サービス面の向上としては
南宮崎発の時刻表を分かりやすい
パターンダイヤにしました。
(パターンダイヤとは例えば
00分発、10分発、20分発・・・といった
規則性のあるダイヤにする事です)
また車内でラジオを流すサービスをしていた
ラジオカーと言う蓄電池車も走らせていました。
車体にラジオ用アンテナが付いていたそうです。
(当時の蓄電池電車)
かたや青島から内海港は高頻度運転するわけでも
ないので今まで通り蒸気機関車を
走らせていたようです。
(当時の宮崎鉄道の蒸気機関車)
ここまで企業努力をして宮崎交通線は
大正から昭和にかけて生きてきました。
このコストを極力抑えるといった
企業努力はKALZAとしても
見習う点だと思って今回のブログネタにしました。
ガチャガチャも移動にかかるガソリン代は
本当に馬鹿にできないコストです。
しかし、鉄道インフラは災害に弱い!!
という欠点があるのです・・・
1960年頃に土砂崩れが発生し
青島〜内海港間は運休状態となり
宮崎交通線は廃線となりました。
廃線となった一部の土地は国鉄日南線へ
流用されました。
鉄道インフラは災害に弱い!
宮崎は、それからウン十年後にも
高千穂鉄道が災害で廃線となり
九州で私鉄、三セクともに走っていないのは
大分県と宮崎県(どちらも九州の東側)となりました。
またガチャポンだって
ガチャポンインフラはパンデミックに弱い!
とコロナが起きて痛感しました。