この間鬱病についてテレビで放送されていましたね。
私は、症状が15個中12個とほとんど当てはまったのですが、それって何か違うのでは?と違和感を覚えました。
まあ、あのテレビは鬱病にならないための番組だったからなんでしょうけどね。
鬱病は一人一人が違う病なんだと思います。
それぞれトラウマや思い出したくない過去や自己嫌悪など…
そういう人がいるんだよってことを伝える番組にしてほしかったなあ。なんて思うのはやっぱり私が鬱病になったからなんですかね…
「鬱」私はこの漢字が書けません。
複雑で難しいですよね。
その通りなんだと思います。
鬱というのは、何十本何百本の糸が絡まって解けない状態なんだと思うんです。
その糸を一本一本ほどしていくのにどれだけの時間を要するでしょうか?
それは相当な時間だと思います。
つまり、一人一人の症状によって糸の絡まり具合も違いますし、糸の種類も違うんですよ。
絹のような細い糸だったり、毛糸のようなふわふわなやわらかい糸だったり。
私は毎日思います。「がんの人はまだいいよなあ。だって見た目でわかるんだもの。」って。
それはきっとがんを患っている方にとってはとても失礼なことなのかもしれません。
けれど、鬱病の人にとってはうらやましいことなのです。
私たちの病気は一目見ただけでは理解してもらえないのです。
だから人中に出るのにも勇気が要りますし、初対面の方と話すのも緊張してしまうんです。
そしてなによりお風呂。狭い空間の中でただ一人でいるあの辛さ。
病気にならないとわからないものですね。
私はお風呂が大好きでした。長風呂をするのが趣味で、1時間ほど毎日入っていた位お風呂好きだったんです。
それなのに、鬱がひどくなるにつれてお風呂にすら入れなくなりました。
その時私は思ったんです。
「ああ、普通とはどれだけ素晴らしく、貴重なものなんだ」と。
普通ってつまんないよねー、なんか刺激的な毎日を過ごしたいよー。
それはね、贅沢な悩みなんですよって教えてあげたくなりました。
隣の芝生が青く見えるのではないんです。周り全ての芝生が青く見えるのです。
生きたくない。もうこれ以上生きていてもいいことなんてなにもない。
そう思うのにご飯を食べて薬を飲んでいる私は心とは裏腹なことをしてるんだ。
そう思うと悲しくて悲しくて涙が止まりませんでした。
どうしてこうなっちゃったの?昔の元気な私はどこへいったの?
いつまで薬に頼るの?私の将来はどうなるの?
自問自答を繰り返しました。それでも答えは出ませんでした。
鬱病って結局何なんだろう…そんな考えばかりが頭の中を支配していました。
ですが、そんな私にも転機が訪れたのです。
新しく通い始めたクリニックのおかげで、少しずつではありますが昔の自分に戻りつつある気がします。
まだ一番苦手な夏の終わりのひぐらしの時期になっていないからなんとも言えませんが、欲求が湧いてきたのです。
以前はそんなことはひとつもありませんでした。
お小遣いは貯まる一方で、支出がなかったのです。
服も今あるものでいい。特に欲しいものもない。やりたいこともなにもない。
ただただ眠る日々でした。
ですが、薬の調節やカウンセリングを受けていくうちに少しずつ心の中にあるもつれた糸が解けてきた気がするんです。
病院へ行くたびに母は泣きました。
どうしてあんなに活発で元気だった娘が今こんなに苦しまなければいけないのか、と。
以前の病院では医師にこう言われました。
「娘さんの病気は必ず薬で治してみせます。」と。
ですが新しく行ったクリニックで、飲んでいる薬を見せたら驚かれたのです。
「これは18歳の子が飲む薬としてはMAXの状態だね。これじゃあ眠くなっても仕方ないよ。もっとシンプルな薬になるように少しずつ調節していこうね。そして心の根っこを取るためにカウンセリングもしようね。」と言われたのです。
前の先生はカウンセリングという言葉すら出しませんでした。
医師ひとつでここまで違うのか!?と思いました。
そこのクリニックは個人経営なのですが、スタッフの方々もとても親身になってくださいます。
なんでも話せる居場所が出来てから、私は少しずつですが変われることが出来てきたのです。
そして、今まで逃げて逃げて逃げ続けてきた勉強にも手を出すようになりました。
一昨日の夜にからっぽの勉強机を掃除し、すべて参考書で埋め尽くしました。
それはなぜか?
カウンセラーの方や、主治医の先生のような人間になりたいと思ったからです。
心の底からこう思いました。
「私の心を支えてくれる。暖かい笑顔で全て受け止めてくれる。たとえ仕事だとしても心が本当に優しくなければこんなに親身になってくれないはずだ。私もこんな人になりたい。そうして同じ病で苦しんでいる人を支える強い人間になってやる。」と。
それからはインターネットで心理学の大学について質問したり調べたりと大忙しです。
私の場合は症状がまだ軽い方だったのでしょうか。
それでもいまだに外に出るのは少し怖いです。
長くなりましたが最後に何が言いたいかといいますと、心の病は一目ではわからないということ。
だから、余計に理解してもらえずに辛いということ。
突然ふいに消えたくなるのは病気のせいだということ。
誰かが消えたくなった時に何もしてあげられずに落ち込むのは心が優しいということ。
鬱病になる人は弱い人間だからなんかじゃありません。
本当に優しくて、真面目で、何事にも一生懸命な人がなるんです。
なんて理不尽な世の中なんだろうと怒りと悲しみでいっぱいです。
私の周りにはこんなにも優しさであふれている人ばかりなのに。
絶対にみなさんを治せる人になってみせます。
理学療法士、カウンセラー、精神科医…
色んな種類の職種はあるけれど、何はともあれ心にある重荷を一緒に持ってあげる人になりたい。
そのためにも私は精一杯勉強を頑張ります。
今度は自分のために勉強するんじゃありません。
私を助けてくれたように、私も誰かを助けたいんです。
だから頑張るんです。
長くなってしまってすみません。
どうか一人でも多くの人がこの病を克服できますように。
そして笑顔の絶えない生活が送れますように、と心から願う日々です。