イミ・アウ・イア・オエ | ハワイアン・メレの世界

ハワイアン・メレの世界

「メレ」とはハワイ語で歌、もしくは詩という意味。
フラを始めて、曲の内容をより知りたいと思い、書いています。

 私の愛する人、どこにいるの

 私の心をかき乱す人

 あなたをあいさずにはいられない

 初めからあなたは私の宝物になるさだめ

 

 雨ははふさわしくない

 美しい女性と一緒にいる時は

 私に本当にふさわしい人は

 丘にいる赤い羽根のイヴィ鳥だ

 

 コーラス

 愛する人を私は探す

 Punaの森の香りの中

 あなたはどこにきえてしまったの?

 戻ってきて私と一緒にいておくれ

 

このメレを書いたのは、リリウオカラニ女王とチャールス・E・キング。

1874年12月、女王が書いた同じタイトルのメレとほとんど歌詞は同じだか、チャールズ・E・キングの書いたメロディーは同じではない。

ビッグ・アイランドのプナ地区で行方不明になった愛する人をさがす青年の物語が基になっているそうだ。

 

チャールズ・E・キングについて少し、1874年1月29日ホノルル生まれ、1950年2月27日没。

一部、ハワイの血を引く彼は、ヌウアウ谷のカメハメハ四世の妻、エマ女王の領地内で生まれ、女王が名付け親となった。

そして幼い頃、ハワイ王朝最後の女王リリウオカラニに音楽を学んだという。

この「イミ・アウ・イア・オエ」の他、「ハワイアン・ウェディング・ソング」、「カイマナ・ヒラ」、「プア・カーネーション」等の人々に知られた、有名な曲を書いている。

カメハメハスクールを卒業している彼は、同校の校歌等も作曲している。

 

 

 

 

 

 

この曲はオペレッタ「プリンス・オブ・ハワイ」で取り上げられ、「王のセレナーデ」として知られるようになっていた。

 

1930年代初頭、ハリウッドは 大衆の「エキゾチックな 南国の地を舞台にする映画」に対する関心を利用して映画を数多く製作した。

このジャンルの映画には、F.W.ムルナウやロバート・フラハティの「タブー 南洋の物語」(1931年)のような高尚な民族学的研究から、1932年と1933年の「ターザン」シリーズや「キング・コング」まで多岐にわたった。

 

そのような背景の下、1932年に公開されたハリウッド映画「バード・オブ・パラダイス(南海の劫火)」がある。

「イミ・アウ・イア・オエ」はこの映画の主題歌として、印象的に使われている。

この映画は、1912年のリチャード・ウォルトン・トゥリーによる戯曲が基になっており、この時、「バード・オブ・パラダイス」はブロードウェイで上演されている。

5人のハワイアン・ミュージシャンが参加したこの劇はその後、大変な評判をうけ、アメリカ中をツアーして回ったそうだ。

この出来事はアメリカのポピュラー音楽界にハワイアン・ミュージックの大ブームを巻き起こしたきっかけとなった。

その後、1932年だけではなく、再度、1951年と2度も映画化されていることからもわかる。

 

あらすじは、南国の島へと白人の乗ったヨットがやってくる。島の娘、ルアナはヨットの乗員、ジョニーと恋に落ち、ヨットは去るが、彼はそのまま島に残る。

近隣の島の王子と結婚させられそうになるルアナ。

火の輪の中央で彼女は踊り、その周囲で島民たちがひざまずく。

ジョニーは火の輪から彼女をさらう。

ジョニーとルアナは他の島に駆け落ちするが、その幸せは長くは続かなかった。

ルアナの故郷の島の火山が噴火し、ルアナは自分が生贄になることで火山を鎮火することができると語る。

ルアナは故郷の島へと戻され、助けに向かったジョニーは槍で肩を刺される。

二人は戻ったヨットの仲間に助けられるが、ヨットの仲間たちは二つの異文化の中、果たして、二人が幸せになるかと話し合う。ルアナは父親と一緒に故郷に戻り、島の人々を救うために自ら進んで生贄として火山に身を投げる。

 

1932年の映画公開から28年間、1909年著作権法(英語版)による著作権法登録の更新をしていなかったため、1960年、パブリックドメイン(著作物や発明などの知的創作物について、知的財産権が発生していない状態または消滅した状態のことをいう。日本語訳として公有(こうゆう)という語が使われることがある。)となった。

そのためか、ユーチューブで映画をみることが出来る。

いかにも昔のハリウッドが描く、南の島、人々、文化、そしてフラ!

もし、興味があるようだったら、ご覧になったらいかがだろうか?

 

 

 

♬Imi Au Ia Oe by Napua

 
参考資料
Huapala - Imi Au ia Oe
Wikipedia - Bird of Paradise

ウィキペディア - 南海の劫火 (1932年の映画)
Wikipedia - Charles E. King